今月の歌・語り
11月
砂山
北原白秋 作詞
中山晋平・山田耕筰 作曲
海は荒海 向うは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた北原白秋 作詞
中山晋平・山田耕筰 作曲
海は荒海 向うは佐渡よ
いわずと知れた北原白秋の名作です。初出は大正11年、実業之日本社発行の「小学女生」という月刊誌の9月号。この詞が生まれるきっかけは、その6月12日、新潟市教育会に招かれ、童謡の詩についての講演をした時にさかのぼります。講演の翌日、市内の7つの小学校から集まった児童による「歓迎童謡音楽会」が行われ、「雨」「雀のお宿」「あわて床屋」など白秋作品ばかりが歌われたそうです。かわいい子供たちの歌声を耳にして、すっかり気分がよくなた白秋は、「兎の電報」の時には、とうとう壇上を駆け回り、うさぎよろしくピョンピョンはねながら、子供たちといっしょに踊り出しました。「赤い鳥」の童謡運動に参加したとき、「童心に帰れ」と唱えた白秋らしいエピソードです。そしてこの席で、「新潟をテーマにした童謡をつくる」と約束したのだそうです。
このあと、白秋はその足で、寄居浜に出向き、詩想を練りました。西方はるかに見える佐渡島、荒海、海岸一面の松林、ぐみ原と砂山の先に広がる白い砂浜。夕日が沈みかかって、灰色の雲が低くたれ、いまにもポツリときそうな空模様に、九州出身の白秋は、さすが「北国の浜」、と詩興をかきたてられたのだそうです。
こうしてそのときの風景が歌詞にいきいきと表現されました。また詞の中で彩りをそえているのが、「すずめ」。日常の風景にとけ込んだ生き物として、白秋の好きだった鳥と言われています。
白秋はこの時、37歳。当時再婚した菊子との間に長男が生まれ、歌の「荒波」のイメージとは裏腹に、家庭的にはもっとも恵まれていた「凪」の時代でした。
この曲は、2つのメロディーがついていることでも有名です。中山晋平のメロディーは、長調で「ドミソラシド」の音階の民謡調、山田耕筰のものは短調の歌曲と、どちらも両者「らしい」曲調になっています。晋平が漁り火が光るのどかな夏、耕筰のが曇り空に荒々しい波が寄せるさびしい冬のイメージといえるかもしれません。親しみやすくて、歌いやすく、さりげない詩情がにじみ出た晋平メロディーか、さびしい曲調の中に情景がありありと浮かび、胸にせまる耕筰メロディーか。
さて、みなさんはどちらのメロディーがお好みでしょうか。