5月も終わりに近い28日、いつメン(いつものメンバー)中心に楽しい「お歌の会」は開かれました♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
お客様のお一人に4人目のお孫さん誕生。 これを祝して「こんにちは赤ちゃん」で歌い始めました👶 何かと暗い世相で、新しい命の誕生は本当に嬉しいこと。 この歌はいつ歌っても優しい気持ちになれます( ◠‿◠ )
リクエスト1曲目は「ニコライの鐘」 東京神田にあるニコライ堂 ( 正式名称は「東京復活大聖堂」)の鐘の音が切なく響く様を、藤山一郎さんが美しい声で歌われています。作曲は「長崎の鐘」と同じ古関裕而氏。
2曲目は「あざみの歌」 歌謡曲の中でもとりわけ叙情的な歌です。 作曲は「さくら貝の歌」で知られる八洲秀章です。
「五月のバラ」「悲しくてやりきれない」「さそり座の女」「青い背広で」「大阪ラプソディ」と、ジャンルも曲調もコロコロ変わる歌々を楽しんだお次は、いつもはドラマチックな曲のリクエストが多いお客様より「祇園小唄」が出され、気分は一気に京都です。 ピアノの調べも琴の音色に聞こえ、情緒たっぷりとリードして頂きました。
「悲しき口笛」 これを歌った時、美空ひばりは12歳。 圧倒的な歌唱力で「子どもらしくない」と云う批判もなんのその、スター街道を走り出し女王へと昇りつめるのです。
ユーミンの「ひこうき雲」を歌って、しばしの休憩。 日が長くなってまだまだ外は明るいままです。
「いいじゃないの幸せならば」を選びリスタート。 他人が何と言おうが、自分が幸せならそれで良いじゃないか、、、正に言い得て妙。 幸せの尺度は自分で決めるものですから。 作詞 岩谷時子、作曲 いずみたく、歌ったのは佐良直美。 第11回日本レコード大賞受賞曲です。
「東京の人」「城ヶ島の雨」 村下孝蔵「初恋」「お嫁においで」に続いて出されたのは、ピアニスト泣かせの音頭曲「花笠音頭」 聞けば誰もが知っている「めでためでた〜の」で始まるこの歌を、合いの手も賑やかに歌いました。
「踊り子」は、この歌をこよなく愛されているお客様より。 川端康成の「伊豆の踊り子」に因んだ歌ですが、何度か入る間奏が曲に哀愁を漂わせています。
「燦めく星座」 1940年の高峰秀子主演映画「秀子の応援団長」の挿入歌でしたが、ワンシーンでしか使われなかったのに人気に火がつき、これを歌った灰田勝彦も一躍注目されますが、戦時下につき歌詞が軟弱だと軍部からクレームが入り、軍事色強めのバージョンも作られたそうです。 戦後は元の歌詞でリバイバル発売されました。
「君恋し」「恋のバカンス」と昭和の名曲を2曲歌い、お次は「気球にのってどこまでも」 児童合唱曲で、1974年の「NHK 全国学校音楽コンクール」小学校の部課題曲でした。
この日は比較的短い曲が多かったのでリクエストも3巡目に入り、ここから怒涛のノンストップ歌唱ですσ(^_^;)
「恋のしずく」「テネシーワルツ」「リリーマルレーン」と続き、お次は「私の城下町」 初々しい小柳ルミ子さんの歌唱力が素晴らしかったですね。 この城下町がどこなのか、度々話題に上がったそうですが、作曲者の平尾昌晃さんによると、イメージしたのは諏訪高島城と諏訪の街だということです。
城続きで「古城」 民謡で鍛えた喉で朗々と歌ったのは三橋美智也さん。 この曲は何と300万枚も売り上げた彼の最大のヒット曲です。
「オー・ソレ・ミオ」 イタリア歌曲の中では人気ナンバーワンで度々リクエストされますが、イタリア語でのエンディングはいつも声量MAX で大迫力です。
「マリネラ」 ルンバのリズムで軽やかに歌いました。 日本語の歌詞はいろいろあるみたいで、淡谷のり子さんも歌っています。
「フニクリ・フニクラ」 イタリア語で「登山鉄道」を意味する「フニコラーレ」が 1880年にヴェスヴィオ山の山頂まで敷設され、その宣伝のために作られた曲で、世界最古のCMソングだとのことです。 「フニクリ・フニクラ」とは「フニコラーレ」の愛称で、楽しげな曲調は利用客を増やすのに一役買ったとか。 ただその後、1944年のヴェスヴィオ山の噴火によってフニコラーレは破壊されてしまったそうです。
ここまで賑やかでテンション高く歌ってきたので、お次のリクエスト者から「少し落ち着くものを」と出されたのは「蘇州夜曲」 異国情緒たっぷりの服部良一先生珠玉の名曲。 何となく心が浄化された様な気がしたのは私だけでしょうか?
ラストリクエストは「歌えバンバン」 今夜は本当にいつも以上にバンバン歌いましたが、皆さん疲れ知らずでまだまだ歌えそうな雰囲気の中お開きに。
次回は、6月11日。 実は本日です(笑) 少しずつコロナ感染者も減りつつありますが、油断大敵。 気を緩めることなく、感染対策も怠りなく歌っていきたいと思います。
では、本日17時15分にお待ちしておりますので、よろしくお願い致しますm(_ _)m
神田陽子