9月最後の土曜歌声は、お初のお客様、サプライズで参加のお久しぶりのお客様、そしてレギュラーの皆様で大いに盛り上がりました。
この時期、秋祭りが開催される所も多いでしょう。 今日お休みのレギュラーのお1人も秋祭りのお手伝いとか? そんな訳でファーストソングは「村祭」 太鼓や笛の音が聞こえてくるような賑やかな始まりです🎶
リクエストは「瀬戸の花嫁」 1974年発売の小柳ルミ子4枚目のシングルで、ひと頃は結婚式の定番曲でした。 作曲の平尾昌晃氏の音楽葬では、小柳ルミ子と歌手仲間がこの歌を大合唱したそうです。
「時代」 中島みゆきの名曲ですが、彼女がこの曲を作ったのは23歳の時で、なんとなく浮かんだ歌詞を歌いながら、本人も「これはどういう意味だろう?」と自問しながら歌っていたそうです。 中島みゆき自身が年齢を重ねながら、歌自体に大きな意味を見出していったのでしょうか? 『喜び 悲しみ』『出会いと 別れを』 繰り返しながら人生を歩んでいく、全人類へのメッセージソングだと思います。
「野に咲く花のように」 曲調は違いますが、『時にはつらい人生も 雨のちくもりで また晴れる』と歌われている歌詞は、「時代」とも共感するところがある様に思われます。
「私はピアノ」 珍しいリクエストでしたが、作詞 作曲は、サザンオールスターズの桑田佳祐で、アルバム『タイニイ・バブルス』に収録されており、妻の原由子がボーカルを担当しています。 アルバムリリースの同年1980年に、高田みずえがカバーしてヒットしたことで、こちらが本家のようになっています。 軽快なメロディと、息を継ぐ暇も無い長尺の歌詞が歌うのをかなり難儀にしていますが、素敵な1曲です😆
今日お初のお客様は、私の地元桑名からお越し下さいました。 音楽に造詣が深く、ご自身もギターやトランペットを演奏されてきた歴史をお持ちです。 その方からのリクエストは、テレサ・テン「つぐない」 歌声サロンでも安定の人気曲です。 『愛をつぐなえば』『別れ』や『重荷』になると云う感覚は、耐える女を歌わせたら天下一品のテレサ・テンならではの、女の身の引き方なのでしょう。
「赤とんぼ」 作詞 三木露風、作曲 山田耕筰による日本の代表的な童謡の一つです。
この様な歌を普段歌うことはそんなに無いので、これも歌声サロンの魅力だと言えるでしょう。 私はこの歌が大好きで、長男が赤ん坊の頃子守唄として歌っていたものです。
ご本人曰く『およそ1年ぶり』のお客様からのリクエスト「女ひとり」 題名だけ聞くと少々艶っぽい歌を想像してしまいますが、『にほんのうた』シリーズの一曲で、京都を舞台にした『ご当地ソング』です。
この『にほんのうた』シリーズは、 作詞 永六輔、作曲 いずみたく、歌唱 デューク・エイセスで発表された数々の『ご当地ソング』の総称です。
「女ひとり」の他、有名なところでは「筑波山麓合唱団」(茨城県)、「いい湯だな」(群馬県)などがあります。 作詞・作曲の二人が、実際に各都道府県を旅して制作されました。
「鈴かけの径」 1942年(昭和17年)に、灰田勝彦が歌った歌謡曲です。 この頃は戦時中でもあり、戦意高揚の歌が好まれており、感傷的な歌は検閲に引っかかる時代でした。 灰田勝彦の母校立教大学のキャンパスにはプラタナス(鈴懸)の並木がありました。 そこで学園歌として若者たちが学校で歌う歌に変更することで、当時としては珍しく軍事色の感じられない曲に仕上がったそうです。
戦後、鈴木章治氏がジャズアレンジしたハイテンポのバージョンが人気を博しました。 岐阜でご本人も歌声活動されているリクエスト者からもアドバイス頂き、当サロンでも、スローテンポ、ハイテンポとふたつのバージョンで歌いました。
「愛する人にうたわせないで」 この歌も度々リクエストされる反戦歌ですが、悲しく切ない母親の感情が溢れています。 歌詞の『坊や』と云うところ、坊やに語りかける様に歌ってはどうでしょうか?
「大阪ラプソディー」 『ラプソディ』とは『狂詩曲』と云う意味で、本来は『自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲』だそうです。 難しいことは良く解りませんが、歌謡曲では「大阪ラプソディー」と「東京ラプソディー」が有名ですね。 両曲のイントロはよく似ていて、どちらも明るく陽気な曲調です。
「秋桜」 さだまさしの佳曲。 嫁ぐ娘と送り出す母の心の機微を細やかに表して、娘と母どちらの気持ちも心を打ちます。 『こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供でいさせてください』 この歌詞には、『いったん嫁いだらもうこの家の子供ではいられないのだ』と云う娘の覚悟のようなものが感じられます。少し古風な感じの母と娘ですね。 現代の感覚では『娘は娘、親子はいつまでも親子』と言われそうですが…
「島人ぬ宝(しまんちゅぬたから)」 これも珍しいリクエストでした。 沖縄出身のアコースティックバンドBEGINの23枚目のシングルで、2002年のリリース。
石垣市立石垣中学校の生徒たちに島への思いを書いてもらい、それを参考にボーカルの比嘉栄昇が歌詞を書いたそうで、沖縄節とも言える旋律が心に響きます。
2003年に、第3回山本健吉文学賞歌詞部門受賞。 NHK沖縄放送局の『沖縄本土復帰30周年』のイメージソングにもなっています。 石垣島の人たちの気持ちが素のまま真っ直ぐに伝わって来る歌です。
「シャロム」 イスラエルの曲で、リクエスト者曰く『シャロムとは平和と云う意味で、今イスラエルはひどい状況なので…』 平和を願うお気持ちからリクエストされました。 本当に戦争ほど愚かしいものはありません。 美しいメロディのこの曲を歌いながら、戦争の一日も早い終結を願わずにはいられません。
「雪の降る町を」 この曲の初出は1952年(昭和27年)に、NHKラジオで放送された放送劇『えり子とともに』の挿入歌としてでした。急拵えで作られたそうですが、人気が出たため歌詞も補作され、高英男の歌唱でレコードも制作されヒットしました。 後に作曲者 中田喜直自ら女性合唱、混声合唱に編曲しています。 『みんなのうた』でも放送されていて、誰もが知っている楽曲になっています。 中田喜直らしい余韻の残る美しい旋律が印象的です。
「人を恋うるの歌」 作詞は近代短歌の革新を成し遂げ、文学美術雑誌『明星』を刊行した与謝野鉄幹です。 この歌は16番まであり、525歌集には、1番・2番・4番が載っています。 鉄幹のロマンチシズムと大陸行脚の思想的遍歴がにじみ出ているとされ、明治、大正、昭和の初期にかけて学生層に大流行したそうです。
三高(現京都大学)寮歌として有名ですが、拓殖大学では、17番以降29番までの歌詞の付いた「若き支那浪人の歌」として愛唱されたようです。
1番の歌詞『妻をめとらば才たけて みめ麗しく 情けある』は、世の男性の永遠の理想の妻像でしょうか?
ここで前半終了。
朝晩はともかく昼間はおよそ秋の気配が感じられない日々ですが、暦の上ではれっきとした秋🍂 そんな訳で後半は『今は もう 秋』と歌い始める「誰もいない海」でリスタート。
この曲はもとは1967年、『木島則夫モーニングショー』に出演していた、歌手のジェリー伊藤の『今週の歌」のために書かれた曲でした。
『私』の一人称モノローグ(独白)歌詞は、語る様に歌われるシャンソンにピッタリですが、私を初め多くの人はトワ・エ・モワのフォークバージョンでこの歌を知ったのでは無いでしょうか? 美しい声とハーモニーでシンプルに歌うスタイルで大ヒットしました。
リクエストは「ひょっこりひょうたん島」 時折り出されるこの曲は、井上ひさし原作のNHKの同名人形劇のテーマソングで、小学生だった私も毎日夢中で観ていたものです。
個性豊かな魅力的なキャラクターたちが織りなす冒険譚ですが、単なる子ども番組では無い、様々な社会問題も描かれていたことには当時は全く気づく由も無く、ただ笑い転げていただけでした。 愉快な曲調で『ちゃぷちゃぷ』や『すいすい』のオノマトペも楽しい歌です。
「季節の中で」 松山千春のヒット曲です。 いきなり高音域で入る『めぐる めぐる 季節の中で あなたは 何を見つけるだろう』のサビの部分が印象的です。 山口百恵・三浦友和共演のグリコアーモンドチョコレートのCMソングに起用されています。
「赤い風船」 『となりの美代ちゃん』のキャッチフレーズで人気抜群だった浅田美代子のヒット曲。 テレビドラマ『時間ですよ』の劇中で歌われました。 音をはずす歌い方でも有名になりましたが、この曲、歌ってみると『もうじき あの』の部分などけっこう難しいことが分かりますので、美代ちゃんも苦労したのでは?(笑)
「遠い世界に」 この曲も日本のスタンダードですね。 歌詞の中に奇しくも『赤い風船に乗って』とあったので、前曲との偶然にびっくり🎈 3番の『これが日本だ 私の国だ…』から続く歌詞は、コロナ禍であえぐ時期によくリクエストされたこともあって、日本への応援歌の様に感じたものです。
「真夜中のギター」 千賀かほるのデビューシングルで、1969年にリリースされています。 フォークソングの名曲として多くのアーティストによってカバーされていますが、私の亡き父もこの曲が大好きで、アコーディオンで孫娘(当サロンピアニスト)と共演している動画が残っており、私にとっても感傷的な曲です。
「私鉄沿線」 1975年リリースの、野口五郎の15枚目のシングルですが、彼の2番目の大ヒット作となっています。 インドの民族楽器シタールを用いたイントロが特徴的ですが、野口五郎の音域の広さをこの曲でも思い知らされます😅 作曲は佐藤寛氏で、野口五郎の実兄です。
「無縁坂」 この曲も人気の1曲でよくリクエストされます。 さだまさしと吉田正美のフォークデュオ『グレープ』の最後のシングルで、これ以後さだまさしはソロで数々の名曲を生み出していきます。
テレビドラマ『ひまわりの詩』の主題歌で、さだまさしによれば、この作品の歌詞は元々レポート用紙10枚程度の短編小説だったそうです。 古い時代の耐える母の生き様が窺い知れる名曲です。
「北へ」 『小林旭の曲ですが、抒情歌の様な素敵な曲です。』とは、リクエスト者の弁。 そのお言葉の通り、ゆったりとした曲調の、歌っていると優しい気持ちになれる、そんな曲です。
「ハナミズキ」 一青窈の名曲で、誰もがよく知っている曲でしょう。
2001年に、米同時多発テロが勃発しました。 現地在住の男性の友人と彼の恋人の幸せを願って、20分ほどで歌詞を書き上げたそうです。 きっかけは『自分の友人と、彼の好きな人の幸せを願う気持ち』と云うごく身近な人たちへの気持ちだったそうですが、『自分以外の他者の幸せを祈る気持ちが連鎖していけば、憎悪による戦争の鎖が断ち切れるのでは、と思って書き上げました。』と一青窈本人が語っています。 そしてまた『「ハナミズキ」の歌詞には、自分の死生観や父母に対する思いも詰まっている』そうで、私たちもこの歌に込められた思いの深さを感じながら歌いたいと思います。
「この道」 作詞 北原白秋、作曲 山田耕筰の美しい童謡です。 上品な雰囲気が漂うこの曲は、北原白秋が札幌を訪れた時の印象を詩にしたもので、「これは『からたちの花』の妹です。『からたちの花』にも増した美しい音楽を与えて下さい。」と云う意味の言葉を、山田耕筰に贈ったことで誕生したそうです。 素晴らしい曲が生まれた素敵なエピソードですね(*^▽^*)
「埴生の宿」 原題はイングランド民謡「Home! Sweet Home! 」で、「楽しき我が家」と云うタイトルでも知られています。 『埴生」とは、埴(はに)のある土地で、『埴生の宿』は『土で塗ったみすぼらしい家』と云う意味です。
「小さな木の実」 この歌も本当に人気のある曲で、特に秋にはよくリクエストされます。 メロディはビゼー「美しいパースの娘」が元になっていますが、歌詞の内容は原曲とは無関係のようです。 1971年にNHK『みんなのうた』で、大庭照子の歌唱で評判になり、広く歌われるようになりました。
「マロニエの木蔭」 和製タンゴの名曲と言われているこの曲を歌ったのは、歌手の松島詩子。 山口県で小学校の教師をしていた彼女は、歌手になりたいとの思いが募り、1932年に上京。日本コロンビアより柳井はるみと云う名でデビュー。 その後1935年にキングレコードに移籍。その時に改名し『松島詩子』となるのですが、命名者は山田耕筰。 1937年、「マロニエの木蔭」は松島自身が弾き語りで大ヒットしたそうです。
「山男の歌」 『娘さん よく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ』で始まるこの歌、山男と娘さんに呼びかけて、お互いに言いたいことを好きな様言っている呑気な歌にも聞こえますが、元の曲は戦前に海軍兵学校で歌われた「巡航節」に基づいているそうです。 『山の歌』の元歌が、『海の歌』と言うのも面白いですね。
ラストリクエストは「さらば恋人よ」 イタリア民謡で原題は「Bella Ciao(ベッラ・チャオ)」 意味は『美しい別れ』で、パルチザンに身を投じるために恋人に別れを告げる若者を歌った曲です。 リクエスト者の力強いリードで歌いました。
お別れ曲はMr.Mの選曲で、長いタイトルの「バラ色のさくらんぼの木と白いりんごの木」 明るいシャンソンを楽しく歌ってお開きに🍒🍎
次回は、3週間後の10月19日。 第3土曜日なので変則開催です。 10月、11月、12月は、イレギュラーな開催日が多いので、その都度ここで告知させて頂き、また開催日の前々日に個別メールでもお知らせ致します。
秋はラウム関係のイベントも多く開催されますので、『芸術の秋』を歌って満喫されてはいかがでしょう?
この日アフター歌声で、私と地元からのお客様はMr.Mに引率されて、とある生演奏バーへ♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪ ここでも生のギターやキーボードの演奏で歌うことができます。
Mr.Mの「Stardust」に魅せられた夜でした☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
10月になっても昼間はまだまだ汗ばむくらいでしたが、この週末は気温が下がるようです。 『寒暖差疲労』なる症状があるそうで、体調管理が難しい頃です。 くれぐれもお身体に気をつけて、ご無理のないよう歌声サロンにお越し頂ければ幸いです。
神田陽子