2025年5月24日土曜日
土曜夜の歌声サロンラウム~ 5月10日のご報告~ 神田陽子

  一年で最も過ごしやすい新緑の季節になり、この日も多くのお客様で土曜歌声は賑わいました。

 翌日が『母の日』と云うことで、ファーストソングにはベタに「母さんの歌」 誰もがよく知っている曲ですが、1956年(昭和31年)に『うたごえ新聞』に発表されて世に出ました。 作詞 作曲の窪田聡は、有名進学校開成高校卒業後、大学進学せず家出、『うたごえ運動』の中心として活動していたそうです。 
 この歌は、家出中に母から届いた小包の思い出や、戦時中に疎開していた長野市の情景を書いたものとされています。 時代は違えど、いつの日も母と子の間の情愛は変わらない…そんな想いがひしひしと伝わってきます。

 リクエスト1曲目は「僕の胸でおやすみ」 かぐや姫の4枚目のシングルで、1973年にリリースされています。 作詞 作曲は山田つぐと(パンダ)ですが、リード・ボーカルは南こうせつが務めました。 優しい歌詞と旋律には、山田が妻と高円寺のアパートで同棲していた頃の想いが溢れています。

 「白いブランコ」 兄弟デュオ ビリー・バンバンの1969年の楽曲で、浜口庫之助が主宰していた『浜口庫之助ミュージック・カレッジ』の門下生であった菅原進が曲を作り、同じく作詞クラスの生徒であった小平なほみが詩を付けてできた曲だそうです。 『ブランコ〜』と、リフレインが入ることで、ブランコの揺れている様が浮かびます。

 「君をのせて」 1986年にジブリ映画『天空の城ラピュタ』のエンディング・テーマとして制作されました。  後に合唱曲として『杉並児童合唱団』によって歌われ、全国の小中学校でも教材として使われるようになりました。 宮崎駿の歌詞はファンタジックで、映画の世界観を表しています。 心の深いところに響く久石譲らしい美しいメロディです。

 「母なる故郷」 サプライズ登場のお久しぶりのお客様より。 1953年に、中央合唱団14期研究生終了演奏会のために作られた曲だそうで、合唱団の団歌になっています。 美しい旋律のクラシカルな楽曲です。

 「地上の星」 ラウムのお客様ですが、土曜歌声はお初参加の女性のお客様から。 『プロジェクトX』新シリーズが放送されているので、テーマ音楽のこの曲もまた脚光を浴びているようです。 
 『地上の星』とは、『地球上の名も無き人間たち』のことで、『プロジェクトX』の主人公たちはまさにそのような名も無き人々なので、難解な歌詞に託された熱い想いが伝わってきます。

 「野に咲く花のように」 この曲も1年を通してよくリクエストされますが、ダ・カーポの爽やかな歌声でヒットしました。 『時には 暗い人生も トンネルぬければ 夏の海』『時には つらい人生も 雨のちくもりで また晴れる』のフレーズには、つらい思いをしている人への、優しい応援の気持ちが詰まっています🌼🌼🌼

 「あざみの歌」 作詞の横井弘は昭和20年に当時18歳で復員してきますが、この歌詞は家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の想いを重ねて綴られたそうです。 情感豊かな旋律が歌詞をより引き立てて、切なさに溢れる曲に仕上がっています。

 「死んだ男の残したものは」 作詞 谷川俊太郎、作曲 武満徹 のコンビにより、ベトナム戦争さなかの1965年、『ベトナム平和を願う市民の会』のために作られた反戦歌です。
 武満徹は1日で曲を完成させたそうで、バリトン歌手の友竹正則によって、御茶ノ水の全電通会館で初披露されました。 全編を通して、重く沈鬱なフレーズが続きますが、そこに真の平和を願う強いメッセージが窺えます。

 「手のひらを太陽に」 この曲を音楽の時間に習った人は多いと思います。 これも作詞は今期の朝ドラ『あんぱん』のモデル、やなせたかしさんです。 曲調が明るいので、何となく陽気な曲に感じてしまいますが、歌詞にはやなせたかしさんの強い想いが散りばめられています。
 1番に『生きているから 悲しいんだ』 2番に『生きているから うれしいんだ』となっていますが、何故最初に『悲しいんだ』を持ってきたことについて、ご本人はこう話されています。
 『死んでしまったら、悲しいもうれしいもないです。生きているから、つらいとか痛いとかいろんなことがあるわけ。それは生きている証なんです。そして、喜びよりも悲しみの方が強いから、悲しみを先にもってきたわけです。  ただ、悲しみはずっと続くわけではありません。その後には喜びがあります。絶望の隣には必ず希望があるのです。』
 この想いを知って歌うと、この歌の持つ深さを感じられますね。

 「サンタ・ルチア」 伝統的なナポリ民謡(カンツォーネ・ナポリターナ)の曲で、日本でもよく知られています。 1849年に、テオドラ・コットラウが編曲、ナポリ語をイタリア語に翻訳して出版しています。 ナポリの歌にイタリア語の歌詞が付けられた初めての作品だそうです。
 「サンタ・ルチア」のナポリ語の歌詞は、ナポリ湾に面した絵のように美しい波止場地区『ボルゴ・サンタ・ルチア』を讃え、船頭が自分の船に乗って夕涼みするよう誘いかけているバルカローレ(舟唄)です。

 「若者たち」 1966年放送の同名テレビドラマの主題歌で、ザ・ブロードサイド・フォーが歌ってヒットしました。 副題にもなっている『空にまた陽が昇るとき』のフレーズが印象的な曲で、2014年にドラマがリメイクされた際には、森山直太朗がカバーして再注目されました。 

 「雨」 タイトルだけではピンと来なかった曲ですが、メロディを聴けば誰しも『あー、この曲』と思い出されるはずです。 
 原曲は、イタリアの歌手ジリオラ・チンクェッティの「La pioggia」で、多くの言語で歌われています。 柴野未知による日本語バージョンは、伊東ゆかりや岸洋子などに歌われています。 独特なリズムと旋律が魅力的な1曲です。

 「あの子はたあれ」 可愛らしい曲調の童謡です。 1939年(昭和14年)に、作詞の細川雄太郎が同人誌『童謡と唱歌』第5巻第2号に『泣く子はだあれ』の題で発表した詩に、作曲家 海沼實がメロディをつけて、翌年にレコード制作が決まったそうです。 戦時中と云う時節柄『泣く子』と云う表現は良くないとのことで『あの子』とし、『だあれ』も音がメロディに乗りにくいのと、濁音を嫌った海沼の主張により『たあれ』と改められました。
 確かに『たあれ?』と濁音無しで疑問系で歌うところに、この歌の秀逸さを感じます。

 「フニクリ・フニクラ」 1880年に、イタリアのヴェスヴィオ山のフニコラーレ(登山電車)の魅力を伝えるために作られた曲で、世界最古のコマーシャル・ソングとも言われています。 軽快で愉快な調子の良い曲で、ラストをロング・トーンで歌い上げると、気分も上々です♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

 ここで前半終了。 先日別府温泉へ湯治旅行にいらしたお客様からのお土産を、皆でいただきました。

 後半の紹介曲は、335歌集にあるオフ・コースの「ロンド」 おそらく土曜歌声では初披露の曲です。オフ・コースがまだ2人組のデュオの時代、1977年にテレビドラマ『ひまわりの家』の主題歌として作られました。オフ・コースの曲は9割方小田和正が作っているのですが、これは相方の鈴木康博の作詞 作曲で、ボーカルも彼が務めています。 テーマは『母を想う若い息子の気持ち』です。  『忙しさに身をまかせて 母の日さえとうに忘れてた』 と云うフレーズで始まるこの曲。 翌日が『母の日』と云うだけでなく、たまたまこの日が私の母の命日だったこともあって、この歌を選びました。 皆さんにもそれぞれのお母様を思い出しながら歌って欲しいと思いました。 
 メロディがきれいで優しい曲調の歌ですが、20代最後に作られた曲なので、歌詞にはいささか若さ故のエゴも感じられます。 いつも息子を想ってくれる母の存在をありがたいけれど疎ましくも感じる… そんな複雑な想いが歌詞のあちらこちらに散見されます。
 『あなたの人生には いつも私がいるのに 新しい年を迎えるたび 離れてゆく』 『今こうして生きてることさえ あなたの望んだ道じゃない』と歌い、最後は『母はいつまでも 子どもに追いつけない』と結んでいます。  このフレーズから親と子の心のすれ違いを感じますが、『子』の気持ちで聴いていた20代とは違い、今は『母』の立場で聴くとまた違った感じを受けます。

 リクエストは「私の愛した街」 度々リクエストされる曲で、アイルランドで起きた自由を求めるデモへの発砲事件をテーマにしています。 原題は「The Town I Loved So Well』 穏やかな曲調ながら、平和な日常を奪われた憤りを強く感じられる歌です。

 「涙そうそう」 森山良子さんが亡きお兄様を想って作った曲で、『涙がぽろぽろこぼれる様』を『涙そうそう』と言うのだそうです。 大切な人を失った悲しみを、涙が流れるままにただ泣くだけ泣いて… (´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)     我慢せずに泣くことも必要ですね。
 『母が好きだったので…』とリクエストされたのは、『りんごの唄』 お母様のお好きな曲を歌うことで、きっとお母様との思い出がよみがえってくることでしょうね。 この歌は戦後打ちひしがれた日本人の心に、再び元気とやる気を与えてくれた快活な1曲です。

 「無縁坂」 さだまさしの名曲のひとつですが、これも『母』を想う歌です。 何事も口に出さずじっと耐えてきた古いタイプの母ですが、そんな母の姿を思いやる子の心情が切ない曲です。

 「忘れな草をあなたに」 1963年に女声コーラス・グループのヴォーチェ・アンジェリカが最初にシングルをリリースしましたが、1971年に倍賞千恵子と菅原洋一によるシングルがヒットして広く知られるようになりました。 菅原洋一のシャンソン・テイストが心に響く抒情歌です。

 「さんぽ」 ジブリアニメ『となりのトトロ』のエンディングテーマで、明るく元気に歌う曲です。 『歩こう 歩こう わたしは元気 歩くの大好き どんどんいこう』と云うサビを何度も歌っていると、本当に愉快な気分になってお散歩しているような気分になりますね。 オリジナルでは、スコットランドの民族楽器バグパイプが全編に渡って使われていて、素朴でノスタルジックな雰囲気が出ています。

 西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」 ペギー葉山「学生時代」 我が歌声サロンでも人気の2曲を続けて歌いました。 この2曲は本当によくリクエストされ、この先もきっと未来永劫歌い継がれていくと思います。

 「黒の舟唄」 元は野坂昭如が、1971年に「マリリン・モンロー・ノー・リターン」のB面でリリースした曲ですが、その後この歌の人気が高くなってAB面逆にして再発売されました。 野坂昭如は男女の間に交錯する様々な想いを、淡々とアングラチックに歌っていますが、加藤登紀子、長谷川きよし、桑田佳祐など錚々たるメンバーがカヴァーしているので、聴き比べてみるのもまた一興でしょう。

 「さよならはダンスの後に」 近ごろよくリクエストされるこの曲、『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説』との酷似のエピソードはこのブログでも書きましたが、メロディは似ていても歌詞の内容が全く違うと受ける印象もガラッと変わりますね。 
 この歌は倍賞千恵子歌唱の失恋ソングですが、別れを決めた2人が最後のダンス(おそらくチークダンス?)を踊り終えるまでは恋人どうしでいようと、暗黙の了承で踊っている感じが、『おとなだなぁ』と妙に感心してしまいます。

 「小雨降る路」 原曲は、1935年にドイツ人のヘンリー・ヒンメルによって作曲されたタンゴですが、後にフランス語の歌詞が付けられてシャンソンとしても有名になりました。
 525歌集の日本語歌詞は作詞者不詳となっています。 他に坂口淳や薩摩忠版があるそうですが、歌声喫茶ではこの歌詞が一般的に歌われてきたそうです。 情熱的ながらどこか品の良さを感じさせるコンチネンタル・タンゴの名曲です。

 「ケ・サラ」 「悲しくてやりきれない」の2曲を続けて歌いました。 曲調は違えど、どちらも心の奥から吐露される心情を歌っています。

 「アンチェインド・メロディ」 リクエスト者がとある発表会で歌われたのですが、ラウムの洋楽歌集にも載っているので、リードをお願いしました。 
 原曲は「Unchained Melody」で、初出は1955年。その後様々な言語で500種類を超えるバージョンで録音されているそうです。 
 1965年に、ライチャス・ブラザーズがリリースしたバージョンが最も有名で、1990年の映画『ゴースト/ニューヨークの幻』の主題歌で使われたことで、世界中でリバイバル・ヒットとなりました。 歌うにはなかなか難しい曲ですが、メロディはきっとどなたもご存知だと思いチャレンジしてみました。

 ラストソングは、Mr.Mの選曲で「鈴かけの径」を三拍子の灰田勝彦バージョンと、鈴木章治のジャズバージョンで歌ってお開きに。

  土曜歌声の様子を毎回ブログに上げているのですが、いろいろ調べながら書いていると、それまで何気なく歌っていた曲の背景を知れて、その曲に対する見方が一新されることもあります。 勉強になることも多く、頭を活性化させる良いタスクだと思いますが、いかんせん遅筆で、今回もまた次回開催当日(5月24日)になってしまいました😅

 そういう訳で、本日土曜歌声開催です。急に暑くなって体調崩しがちですが、歌って活力アップ!心身共に元気になりましょう٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

神田陽子



 
Template Design: © 2007 Envy Inc.