まだまだ残暑厳しきこの日、土曜歌声は大勢のお客様に来て頂き、暑さも吹き飛ばす快い熱気で溢れました😅
ファーストソングには、先日訃報を聞いたばかりの橋幸夫さんを偲んで、「いつでも夢を」を、ラウムのユキオ(実は同名)&サユリ(烏滸(おこ)がましいにもほどがある💦)で歌いました。 一世を風靡した御三家も西郷輝彦さん、橋幸夫さんを失って寂しい限りですが、残された舟木一夫さんにはお2人の分まで長生きして、歌い続けて頂きたいですね(*'▽'*)
リクエストは「いい日旅立ち」 1年を通してとても人気のある曲ですが、本当にいつ歌っても郷愁を感じられる、谷村新司さんの遺してくれた素晴らしい曲だと感じます。
秋は旅行シーズンです。思い切って旅に出てみてはいかがでしょう? 『日本のどこかに 私を待ってる人がいる』…かも知れませんよ( ◠‿◠ )
「学生時代」 これも根強い人気曲です。 1964年(昭和39年)発売で、ペギー葉山が歌いミリオンセラーの大ヒットでした。 作詞 作曲の平岡精二とペギー葉山はともに青山学院の出身で、最初のタイトルは平岡の推した「大学時代」だったようです。
ところが自身も大学へは進まなかったペギーの『みんな大学に行く時代じゃないから』という意見で、「学生時代」になったそうです。 確かに言葉の響きもこちらの方が断然良いですね。 歌っていると、いつの間にか自分の『学生時代』を思い出していますね⛪️
松山千春「大空と大地の中で」 中島みゆき「地上の星」 サーカス「アメリカン・フィーリング」 大橋純子「シルエット・ロマンス」の4曲を続けて歌いましたが、どれも昭和・平成に生まれた名曲揃いで、この先も長く歌い継がれていきたい曲です。
「里の秋」 秋には必ずリクエストされる1曲です。 このような童謡を歌えるのも歌声サロンの醍醐味ですが、歌集も見ずに歌詞を諳(そら)んじて歌っていらっしゃる方もあり、日本人にとって『心の歌』の1つと言えるでしょう。
「岬めぐり」 1974年リリースの、『山本コウタローとウィークエンド』のデビューシングルで、当サロンでも度々リクエストされます。 みんなで歌うのにぴったりで、私も修学旅行のバスの中で大きな声で歌った覚えがあります。 この岬は神奈川県の三浦半島が舞台と言われているそうです。
中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」 高田みずえ「私はピアノ」 イルカ「雨の物語」の335歌集の曲を3曲続けて歌いましたが、「飾りじゃないのよ…」は井上陽水が、「私は…」は桑田佳祐が作詞 作曲を担っており、この頃からニューミュージックのアーティストたちが、他の歌手に楽曲提供する傾向が見られ始めます。 「雨の…」は、伊勢正三の作詞 作曲ですが、いかにも正やんらしい優しい曲調の1曲です。 この『物語』 時間軸を行ったり来たりしているのですが、短いフレーズが聴き手の想像力を掻き立てます。
それぞれセルフカヴァーもしているので、聴き比べてみるのも良いでしょう。 同じ曲でも歌手、アレンジ、歌い方の違いでずいぶん趣も変わるものです。
「明日があるさ」 1963年に発売された、作詞 青島幸男、作曲 中村八大、歌唱 坂本九の楽曲です。 意中の女学生になかなか気持ちを伝えられない、気弱な男子学生の『今日がダメでも、明日には…』と、ポジティブに自己を励ます内容ですが、『明日があるさ』と云うフレーズは、人生のあらゆる場面で『諦めない力』をくれる言葉のように思いませんか?
多くの歌手にカヴァーされて歌われていますが、特に2000年に日本コカ・コーラの缶コーヒー『GEORGIA』のCMソングに起用されて、空前のリバイバル・ヒットとなりました。 当時不況下にあった日本を明るく元気にしていこうという風潮と、吉本興業の人気お笑い芸人たちのキャスティングとが相まって話題になりました。
トータス松本が歌った「明日があるさ(ジョージアで行きましょう)」の歌詞も青島幸男が書いていますが、オリジナルのラストのフレーズで始まり、同じフレーズで終わっています。
サラリーマン人生の応援歌のようなコンセプトになっていますが、何となくコミカルでとても素敵なので載せておきます。
明日があるさ明日がある
若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと
わかってくれるだろう
明日がある 明日がある 明日があるさ
会社をおこした奴がいる
会社に残ったオレがいる
あせることないさ あせることないさ
自分に言い聞かす
明日がある 明日がある 明日があるさ
新しい上司はフランス人
ボディーランゲージも通用しない
これはチャンス これはチャンス
勉強しなおそう
明日がある 明日がある 明日があるさ
ある日突然考えた
どうしてオレはがんばっているんだろう
家族のため? 自分のため?
答えは風の中
明日がある 明日がある 明日があるさ
近頃の若いやつはとよく言うけれど
自分の頃よりだいぶまし
大目にみよう 大目にみよう
敬語ができないくらい
明日がある 明日がある 明日があるさ
明日があるさ 明日がある
若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと
わかってくれるだろう
明日がある 明日がある 明日があるさ
松山千春「大空と大地の中で」 中島みゆき「地上の星」 サーカス「アメリカン・フィーリング」 大橋純子「シルエット・ロマンス」の4曲を続けて歌いましたが、どれも昭和・平成に生まれた名曲揃いで、この先も長く歌い継がれていきたい曲です。
「里の秋」 秋には必ずリクエストされる1曲です。 このような童謡を歌えるのも歌声サロンの醍醐味ですが、歌集も見ずに歌詞を諳(そら)んじて歌っていらっしゃる方もあり、日本人にとって『心の歌』の1つと言えるでしょう。
「岬めぐり」 1974年リリースの、『山本コウタローとウィークエンド』のデビューシングルで、当サロンでも度々リクエストされます。 みんなで歌うのにぴったりで、私も修学旅行のバスの中で大きな声で歌った覚えがあります。 この岬は神奈川県の三浦半島が舞台と言われているそうです。
中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」 高田みずえ「私はピアノ」 イルカ「雨の物語」の335歌集の曲を3曲続けて歌いましたが、「飾りじゃないのよ…」は井上陽水が、「私は…」は桑田佳祐が作詞 作曲を担っており、この頃からニューミュージックのアーティストたちが、他の歌手に楽曲提供する傾向が見られ始めます。 「雨の…」は、伊勢正三の作詞 作曲ですが、いかにも正やんらしい優しい曲調の1曲です。 この『物語』 時間軸を行ったり来たりしているのですが、短いフレーズが聴き手の想像力を掻き立てます。
それぞれセルフカヴァーもしているので、聴き比べてみるのも良いでしょう。 同じ曲でも歌手、アレンジ、歌い方の違いでずいぶん趣も変わるものです。
「明日があるさ」 1963年に発売された、作詞 青島幸男、作曲 中村八大、歌唱 坂本九の楽曲です。 意中の女学生になかなか気持ちを伝えられない、気弱な男子学生の『今日がダメでも、明日には…』と、ポジティブに自己を励ます内容ですが、『明日があるさ』と云うフレーズは、人生のあらゆる場面で『諦めない力』をくれる言葉のように思いませんか?
多くの歌手にカヴァーされて歌われていますが、特に2000年に日本コカ・コーラの缶コーヒー『GEORGIA』のCMソングに起用されて、空前のリバイバル・ヒットとなりました。 当時不況下にあった日本を明るく元気にしていこうという風潮と、吉本興業の人気お笑い芸人たちのキャスティングとが相まって話題になりました。
トータス松本が歌った「明日があるさ(ジョージアで行きましょう)」の歌詞も青島幸男が書いていますが、オリジナルのラストのフレーズで始まり、同じフレーズで終わっています。
サラリーマン人生の応援歌のようなコンセプトになっていますが、何となくコミカルでとても素敵なので載せておきます。
明日があるさ明日がある
若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと
わかってくれるだろう
明日がある 明日がある 明日があるさ
会社をおこした奴がいる
会社に残ったオレがいる
あせることないさ あせることないさ
自分に言い聞かす
明日がある 明日がある 明日があるさ
新しい上司はフランス人
ボディーランゲージも通用しない
これはチャンス これはチャンス
勉強しなおそう
明日がある 明日がある 明日があるさ
ある日突然考えた
どうしてオレはがんばっているんだろう
家族のため? 自分のため?
答えは風の中
明日がある 明日がある 明日があるさ
近頃の若いやつはとよく言うけれど
自分の頃よりだいぶまし
大目にみよう 大目にみよう
敬語ができないくらい
明日がある 明日がある 明日があるさ
明日があるさ 明日がある
若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと
わかってくれるだろう
明日がある 明日がある 明日があるさ
「花の首飾り」 1968年発売のザ・タイガースの5枚目のシングルで、最大のヒット曲です。 当初は、ジュリーこと沢田研二のリードヴォーカル「銀河のロマンス」のB面扱いでしたが、トッポこと加橋かつみが初めてリードヴォーカルを担当したこの曲の方が人気が出たため、ほどなくこちらをA面にしたと云う経緯があります。
美しい高音ボイスで歌われた「花の首飾り」は、70回以上も多くのアーティストにカヴァーされているらしく、イギリスの人気グループ ベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンは英語詞で歌っています。 英語の歌詞のタイトルは「You’re the Woman for Me」
「お祭りマンボ」 1952年リリースの美空ひばりの楽曲で、東京日本橋馬喰町出身の原六郎が、当時流行していたマンボのリズムに乗せて、お祭り好きな江戸っ子気質をテーマに、作詞 作曲 編曲を一手に担って作った曲です。
軽快なアップテンポで調子良く歌われていますが、ラストはスローに気怠(けだ)るく歌い、『あとの祭りよ』とオチを付けています。
『ワッショイワッショイ テンツクテンツク』の掛け声が、お祭り気分を盛り上げてくれる楽しい1曲です(#^.^#)
「TSUNAMI 」 サザンオールスターズの2000年リリースのシングルですが、TBS系『ウンナンのホントコ!』の番組企画『未来日記III』とのタイアップから生まれた楽曲でした。
幅広い年齢層に支持され、またこの番組で使用されたことも大ヒットの後押しをしましたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の後は、被災者や世間の感情に最大限配慮する必要から自粛されていました。
しかし『ネーミングに関わらず、曲自体に罪は無い』と云う声も多くあり、今では放送・配信されていますが、桑田佳祐自身は思うところあって、サザンのライブでは未だこの曲は演奏していません。
曲は美しいラブバラードで、音域の広さが際立ちますが、最も高音になる『Hoo〜』のところは、リクエスト者の見事なソプラノで完璧でした♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
因みに『tsunami』と云う言葉は、OxfordのEnglish辞典にも登録されている日本語の1つです。それほどこの言葉の持つ意味合いはインパクトが強く、的確な言葉に翻訳できないのでしょう。
「しあわせの歌」 1955年、電気産業労働組合が新組合歌として公募したこの歌は、労働歌の枠を破って愛唱されてました。 『平凡』『明星』といった人気雑誌にも掲載されたり、フランキー堺&左幸子主演映画『しあわせは俺いらのねがい』もこの歌を基に作られました。 また映画『浮草日記』の劇中でも歌われています。
紙ふうせん「冬が来る前に」 アダモ「インシャラー」の2曲を続けて歌って、前半終了です。
後半はいきなりリクエスト曲でリスタートです。
「夢芝居」 梅沢富美男が艶やかな女形の姿で歌うこの曲は、小椋佳の作詞・作曲です。 元々歌うつもりは無かった梅沢富美男は、自分の好きな小椋佳が作ってくれるなら、と無理を承知で言ったところ、ディレクターに伝手(つて)があったことから楽曲提供が実現し、『歌う羽目になった(梅沢 談)』
一方の小椋佳は、午前中に満足のいく童謡(曲名は不明)を仕上げたばかりで、午後から「夢芝居」の曲を作るのに少々疲れ気味だったとのこと。そこで、長調だった童謡のメロディを短調に変えて完成させたそうです。 ヒット曲「夢芝居」誕生にはこんなエピソードがあったのですね。
「夢路より」 フォスター晩年の歌曲で、当サロンでは度々リクエストされる1曲です。
美しいセレナードで、原題は「Beautiful Dreamer (夢見る人)」 いつか英語の歌詞でも歌ってみたいですね。
「二人は若い」 珍しいリクエストでしたが、いつまでも『若い』皆さんの愉(たの)しげな歌声が響きました。 この曲は昭和11年頃のヒット曲で、作詞 サトーハチロー、作曲 古賀政男で、ディック・ミネが歌いました。 『のぞかれた花嫁』(なんかすごいタイトルですね)の主題歌でしたが、ニ・ニ六事件が起こり、軍部の台頭が著しくなってきたこの時代に、よくこんな明るく調子の良い曲が流行ったものだと思いませんか?
「いのちの歌」 335歌集の曲で、度々紹介曲としても歌ってきましたが、『命』の大切さと共に、あらゆることに感謝の気持ちを持つ… そんなコンセプトの素晴らしい曲です。作詞はMiyabiこと竹内まりやで、朝ドラ『だんだん』の中で茉奈 佳奈によって歌われましたが、竹内まりや自身も『紅白歌合戦』で歌いました。 優しく尊い気持ちになれる1曲です。
「熱き心に」 自他共に認める小林旭ファンの大瀧詠一が書き下ろした楽曲で、作詞には小林旭のイメージから、大瀧詠一自ら阿久悠に依頼したそうです。
伸びやかな小林旭の歌声でヒットしましたが、デモテープの段階では、小林旭本人はいまいち気乗りしなかったそうです。それがイントロのストリングス・アレンジを聴いて『ジョン・ウェインの世界だ!』とすっかり気に入ったとのこと。
ジョン・ウェインって、私には西部劇のイメージですが、日活時代は無国籍映画と言われた西部劇っぽい映画に出ていた彼ならではの感想でしょうか? そう言えば、この方、美空ひばりの元夫でしたね。 これを書いていたらそんなことも思い出しました(*^^*)
青い三角定規「太陽がくれた季節」 浅田美代子「赤い風船」 昭和のヒット曲を2曲歌いました。 どちらもテレビドラマとのタイアップでしたが、当時はドラマの主題歌、挿入歌もドラマの視聴率アップに欠かせない要素でした。 今も映画・ドラマの中で流される、いわゆる劇伴(劇中伴奏音楽)が、作品の感動を高めるのにひと役買っているのは間違いありません。
「もみじ」 秋の定番唱歌ですが、輪唱で歌われるこの曲を、Mr.Mとお客様方のリードで素敵な輪唱合唱にして頂き、とても即席とは思えない素晴らしい出来でした♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
『織る錦』の紅葉の美しい季節が待ち遠しいですね🍁🍁🍁
「オー・シャンゼリゼ」 Mr.Mの十八番(おはこ)の1曲なので、素敵にリードしてもらい、陽気に明るく歌いました。 シャンソンの中でも、皆んなで合わせて歌い易い曲だなぁ、と思っていましたが、原曲はイギリスの楽曲「Waterloo Road(ウォータールー・ロード)」で、これにフランス語の歌詞をつけたのが、フランスの作詞家 ピエール・ドラノエでした。その際原曲の『ロンドンのウォータールー通り』を、『パリのシャンゼリゼ通り』に差し替えて発売したそうです。
日本では、1971年にダニエル・ビダルのレコードがヒットし、その後、越路吹雪初め多くの歌手によって歌われてきました。
ジブリ映画『天空の城ラピュタ』のエンディング・テーマ「君をのせて」 1946年に朝日新聞の懸賞応募曲から生まれた「朝はどこから」を続けて歌いました。 どちらも当サロンでは人気のある曲でしばしばリクエストされますので、皆さん良くご存知です。
「川の流れのように」 美空ひばりの遺作となった曲ですが、作詞を依頼された秋元康は当時ニューヨークに住んでいて、『毎日、イーストリバーを見ながら、望郷の念を感じながら作詞した。』と語っています。
『自分の歌で若い世代の人たちにメッセージを残したい』と云う、美空ひばりの想いを存分に受けて作詞されたこの歌は、歌っているとそれぞれの『人生』をしみじみ思う『縁(よすが)』を感じますね。
「お嫁においで」 珍しいリクエストでしたが、1966年リリースの加山雄三のヒット曲なので、どなたもスラスラと歌っておいででした( ◠‿◠ )🎶
絶妙なメロディラインは弾厚作こと加山雄三自身の作曲で、甘い歌詞は岩谷時子さんです。 この曲を元にして、加山雄三主演で同名の映画も製作されています。
「ガンダーラ」 ドラマ『西遊記』のエンディング・テーマとして使用された、1978年リリースのゴダイゴのヒット曲です。 前にも書きましたが、この曲の歌詞、最初は全て英語で書かれていたそうです。 後から日本語の歌詞を乗せたので、何となく歌いにくいところもありますが、オリエンタルなムードの素敵な曲です。
「スワニー」 ジョージ・ガーシュインの最初のヒット作で、この曲で彼は広く注目され、人気作曲家の列に加わることができました。
作詞家シーザーがガーシュインにワン・ステップ調の曲を作ろう、と提案したことから生まれた曲ですが、フォスターの「スワニー河」を参考にして構想をまとめたそうです。『スワニー』と聞くと、フォスターのこの曲を最初に思い浮かべる人が多いと思いますが、こんな繋がりがあったのですね。
最初あまり受けなかった「スワニー」ですが、大人気歌手のアル・ジョルスンに気に入られ、彼のショウで歌われたことから大好評を博し、ミリオンセラーを記録しました。 また『女ジョルスン』と言われるジュディ・ガーランドもこの歌を持ち歌としています。 流れるようなメロディラインが、心弾ませる曲調になっています。 (情報提供 by Mr.M)
「勇気100%」 珍しいリクエストでしたが、どこかで1度は聴いたことがあるのでは無いでしょうか? と言うのも、この曲は元は1993年リリースの光GENJIのシングルで、NHKのアニメ『忍たま乱太郎』の主題歌として使用されたのですが、以後 STARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)所属のグループに歌い継がれているのです。
光GENJI 以降のバージョンとして
Ya-Ya-yah 「勇気100%・2002」
Hey! Say! JUMP「勇気100%・2009」
NYC「勇気100%・2010」
NYC「勇気100%・2010」
Sexy Zone 「勇気100%・2012」
ジュニアBoys「勇気100%・2016」
ジュニアBoys「勇気100%・2016」
ジャニーズJr.「勇気100%・2022」
なにわ男子「勇気100%・2024」
なにわ男子「勇気100%・2024」
(『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』
テーマ曲)
同じテレビアニメの番組でテーマソングが変わらず、ずっと同じというのも珍しいことですが、それだけ旧ジャニーズ系の魅力が大きいのでしょう。 この曲の認知度が高いのもうなずけます。
「高校三年生」 橋幸夫さんの訃報でも触れましたが、御三家で唯一歌手活動を続けている舟木一夫のデビュー・シングルで、累計売上は230万枚にのぼるそうです。
1963年発売ですが、当時の高校3年生の卒業間近の純朴な気持ちが綴られ、以後『学園ソング』の定番として長く歌い継がれています。
尚、同年に同名の映画も製作されて、舟木一夫も出演していますが、撮影は舟木一夫の出身 一宮市が中心で、高校の校舎の撮影は、江南市の滝高等学校で行われたそうです。『永遠の高校生』のようなリクエスト者にリードして頂きました。
「さらば恋人よ」 原題は「Bella Ciao(さらば恋人よ)」で、度々リクエストされるイタリアの反ファシスト歌ですが、元はイタリア内戦の時に創作され、イタリア・パルチザンによって歌われた歌曲のようです。
その後、反ファシスト党による自由とレジスタンスの賛美歌として歌われるようになったそうです。 どこか悲しげな旋律に感じられますが、イタリア語の歌唱を聴いてみたら、『Bella Ciao , Bella Ciao , Bella Ciao…』と、さすが陽気なイタリア人… そんな歌い方でした。
この日は40曲近く歌って、それでも(それ故?)皆さん元気いっぱい!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
まだまだ歌えそうな雰囲気です(*≧∀≦*) そんな雰囲気を受けてか、Mr.M選曲のラストソングは「歌えバンバン」(笑) この曲をスタンディングで楽しく歌ってお開きに♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
次回は9月27日。 きっと涼しくなって秋の気配が感じられることでしょう… なんて実はお定まりの『本日』です(๑˃̵ᴗ˂̵)
急に涼しくなって体に変調をきたされていませんか? いつも言っていることですが、歌うことで心身共に整うように思います。 秋風に誘われて歌いにいらして頂ければ幸いです。
同じテレビアニメの番組でテーマソングが変わらず、ずっと同じというのも珍しいことですが、それだけ旧ジャニーズ系の魅力が大きいのでしょう。 この曲の認知度が高いのもうなずけます。
「高校三年生」 橋幸夫さんの訃報でも触れましたが、御三家で唯一歌手活動を続けている舟木一夫のデビュー・シングルで、累計売上は230万枚にのぼるそうです。
1963年発売ですが、当時の高校3年生の卒業間近の純朴な気持ちが綴られ、以後『学園ソング』の定番として長く歌い継がれています。
尚、同年に同名の映画も製作されて、舟木一夫も出演していますが、撮影は舟木一夫の出身 一宮市が中心で、高校の校舎の撮影は、江南市の滝高等学校で行われたそうです。『永遠の高校生』のようなリクエスト者にリードして頂きました。
「さらば恋人よ」 原題は「Bella Ciao(さらば恋人よ)」で、度々リクエストされるイタリアの反ファシスト歌ですが、元はイタリア内戦の時に創作され、イタリア・パルチザンによって歌われた歌曲のようです。
その後、反ファシスト党による自由とレジスタンスの賛美歌として歌われるようになったそうです。 どこか悲しげな旋律に感じられますが、イタリア語の歌唱を聴いてみたら、『Bella Ciao , Bella Ciao , Bella Ciao…』と、さすが陽気なイタリア人… そんな歌い方でした。
この日は40曲近く歌って、それでも(それ故?)皆さん元気いっぱい!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
まだまだ歌えそうな雰囲気です(*≧∀≦*) そんな雰囲気を受けてか、Mr.M選曲のラストソングは「歌えバンバン」(笑) この曲をスタンディングで楽しく歌ってお開きに♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
次回は9月27日。 きっと涼しくなって秋の気配が感じられることでしょう… なんて実はお定まりの『本日』です(๑˃̵ᴗ˂̵)
急に涼しくなって体に変調をきたされていませんか? いつも言っていることですが、歌うことで心身共に整うように思います。 秋風に誘われて歌いにいらして頂ければ幸いです。
でも決してご無理はされませんように( ◠‿◠ )
神田陽子