昔の歌声喫茶が「歌声サロンラウム」となり、私は叔母に誘われて約20年前から、そのサロンに15年間ほど通っていた。
春日井市に住んでいた当時、名古屋の新栄駅すぐ近くのビル11階の一室だったが、その後「伏見のビル」に移ったのだった。
「みんなで歌おう」と「一人で歌おう」の両方であったが、私はずっと「一人で歌おう」を唱歌。
イタリア歌曲・オペラアリア等、7~8人の人たちが順番に2・3時間好きな曲を歌っていた。
ピアノ伴奏は亀谷さんがいつも弾いてくださり、ピアノのタッチも軽くお上手で歌うその人の音域に合わせて、どんな曲でも原調を移調させて直ぐに弾かれ、その才能の素晴らしさに驚かされ、感服したものである。
私より10歳ほど年上の優しいお姉様的存在で、気さくな人柄で大好きな方だった。
私は小学校時代から大学まで、また結婚後も25年とコーラス歴は長い。お腹の底から息を吸い複式呼吸で一生懸命、感情を込めて歌い、大勢でハモル合唱の魅力、心地よさは何にも得難い至福のひと時である。
独唱は自分一人の世界に浸り、、あの快感、醍醐味は格別である。どちらも私は大好きである。
「ラウム」では発生練習替わりに先ず、ヘンデル作曲「ラルゴ」から歌い始め、ゆったりした気分になり歌の世界に入っていく。
そして昔オペラ講座で習ったアリア、プッチーニ作トスカ「歌に生き、愛に生き」「ある晴れた日に」ヴエルデイ作「リゴレット」より「女心の歌」「乾杯の歌」ジャンニスキッキの「愛しい父よ」、「帰れソレントへ」「君に告げてよ」等、その他数十曲を心行くまで歌った。
また、幼い頃から口ずさんでいた叙情歌、四季の移ろいによる懐かしいあの歌、この歌、その情景が浮かび懐かしさでいっぱいになる。
亀谷さんが旅立たれて早や2年が経とうとしている。いつもにこやかな笑顔でピアノに向かわれ、高齢にもかかわらず背筋を伸ばし、ハイヒールを履き、音楽一筋の気丈なお姿は、本当に尊く素晴らしい人生を過ごされたと思う。
亀谷さんお世話になり感謝しています。ありがとうございました。
吉沢悠紀子
(注)亀谷登志子さんは1998年5月から約20年間、ラウムで活躍され、2018年6月16日にお亡くなりになりました。享年88歳。亡くなる半年前まで現役でした。