2024年9月14日土曜日
土曜夜の歌声サロンラウム~ 8月24日のご報告~ 神田陽子

   迷走、居座りノロノロ台風が去っても、まだ真夏の酷暑に苦しめられている今日この頃。 そんな迷惑な台風がやってくる少し前8月24日に、土曜歌声は開催されました。


 沖縄の美しい海や空を感じたくてファーストソングには「芭蕉布」を選びました。 優しい曲調が気持ちを安らかにしてくれる琉球民謡ですが、一般的な沖縄音楽とは異なる三拍子のリズムに、一部アクセントとして琉球音階を使用しています。

 リクエスト1曲目は「峠の我が家」 アメリカのフォークソングと呼ばれる曲で、原題は「Home on the Range」 元々『the range 』は『平原、この地』の意味があるので、「この地の我が家」「平原の我が家」の訳題もあるそうです。 開拓時代のアメリカで入植者やカウボーイによって歌われていたものが、様々な形でアメリカ中に広まったようです。

 『高石ともやさんを偲んで…』とリクエストされたのは「街」 1週間前の8月17日に82歳で亡くなった高石ともや氏の冥福を祈ると共に、彼の素晴らしい楽曲を歌い継いでいきたいと改めて思いました。

 「岬めぐり」 1974年リリースの山本コウタローとウィークエンドのデビューシングルで、軽快なメロディが歌いやすい1曲です。 この年は私が高校の修学旅行に行った年でした。バスの中の大合唱を今でもまざまざと思い出します。 因みにこの『岬』は、神奈川県の三浦半島が舞台だと言われています。

 「坊がつる讃歌」 しばらくお休みが続いていたご常連の男性のお客様、久しぶりのご参加でこの歌を歌って下さいました。 原曲「坊がつる賛歌」は、1952年に大分県竹田市の坊ガツルにある山小屋で、九州大学の学生3人によって、広島高等師範学校の山岳部第一歌「山男の歌」をベースに作られたそうです。

 「戦争を知らない子供たち」 1970年、大阪万博でのコンサートで初めて歌われ、翌年ジローズの歌唱によるシングルが発売されました。 世はベトナム戦争の真っ最中で、日本国内でも反戦平和運動が盛り上がりを見せていて、そのような風潮の中で日本における代表的な反戦歌となりました。

  「さびしいカシの木」 「山小屋の灯」 「星に祈りを」 ジャンルも曲調も全然違う3曲を続けて歌いましたが、 『寂しく切ない歌』『楽しく愉快な歌』『明るく優しい歌』を、それぞれ気持ちを込めて歌って頂きました。

 「海は恋してる」 早稲田大学の公認バンドサークルWFS(Waseda Folksong Society)
のメンバーで結成されたザ・リガニーズのデビューシングル。 カレッジ・ポップスの先鞭となりました。

 初夏から初秋にかけてよくリクエストされる「少年時代」 井上陽水の名曲で、今や日本のスタンダードの1曲になっています。 郷愁を誘うメロディと、陽水の造語を交えた美しい歌詞が心の奥に染み渡ります。 

 「マイ・ウェイ」 1969年にリリースされたこの曲を知らない人はおそらくいないでしょう。 原曲「My Way」は、アメリカのフランク・シナトラが歌いましたが、元はフランス語の歌「Comme d’habitude(コム・ダビチュード)」で、ポール・アンカが新たに英語の歌詞を書いて、シナトラのシングルとして発売されました。 エルビス・プレスリーはじめ多くの歌手によってカバーされています。
 日本語の歌詞は、525歌集にある岩谷時子氏の訳詩や、中島潤氏、片桐和子氏の訳詩もありますが、『今 船出が近づくこの時に』で始まる布施明バージョンが有名です。
 ラウムのシナトラのリードで歌い上げ、Mr.Mのリクエスト「カプリ島」 タンゴのリズムも軽やかに、情熱的なこの歌で前半終了。

 後半は「耳をすましてごらん」でリスタート。 この曲は335歌集の中でも人気の高い曲で、私はこの歌を歌うと、たゆとう波に身を任せてゆらゆらと漂っている様な気分になりますが、皆さんはいかがでしょう?

 リクエストは「おいで一緒に(山と川)」  チリの詩人、外交官、政治家であるパブロ・ネルーダの詩を、笠木透氏が日本語に訳して歌っています。 チリのクーデター騒ぎの中、命を落としたネルーダは、1971年にノーベル文学賞を受賞しており『愛と革命の偉大なる詩人』と讃えられています。 「山と川」の別名の通り、故郷の美しい山と川を想いながら闘いに人生を捧げている姿を静かに歌っています。

 「糸」 縦糸と横糸の織りなす布を、人の『縁(えにし)』になぞらえて書かれた歌詞が秀逸です。 語り掛ける様に歌うとさらに心に響くのでは無いでしょうか?

 「さらば青春」 小椋佳のデビューシングル「しおさいの詩」のB面曲でしたが、両A面と言って良いほどこの曲も素晴らしい出来です。 軽やかにハイテンポで歌っていますが、歌詞の内容はどこか退廃的な感じがします。 

 「白鳥の歌」 作詞 若山牧水、作曲 古関裕而の格調高い歌曲です。 元は連続ラジオドラマ『音楽五人男』の主題歌として作られましたが、東宝が同名の映画を作って、藤山一郎が歌っています。 若山牧水の詩には孤独の影が見えると言われているそうですが、孤高の潔さも感じられますね。

 「出発(たびだち)の歌」 1971年にリリースされた上條恒彦の3枚目のシングルで、副題として「失われた時を求めて」と付いています。 作詞の及川恒平によると、『さぁ、今、銀河の向こうに飛んで行け』の後に、『自らが宇宙になるために』と云う一節があったそうですが、説明的なので削られた由。 聴く人のイメージに委ねたと云うことでしょうか? 作曲の小室等は中村八大にアドバイスを受け、補編曲も依頼したそうです。 

 「野に咲く花のように」 ダ・カーポの爽やかな歌声でヒットしましたが、作曲は小林亜星氏。放浪の天才画家 山下清を主人公にした『裸の大将放浪記』のテーマソングでした。 初代主演は芦屋雁之助さんでしたが、二代目の塚地武雅(つかっちゃん)も良い味を出していましたね。『おにぎりが大好き』のくだりが、朝ドラ『虎に翼』でも引用されていて笑えました( ◠‿◠ )

 『アラン・ドロンが亡くなったので、追悼で…』とリクエストされたのは、太田裕美の「赤いハイヒール」  皆さん「?」の顔でしたが、『あ、歌詞にアラン・ドロン入ってますね〜』と思い出した私。 
 リクエスト者はジャンルレンジの広い常連男性客ですが、アイドル系もお強いとあって、完璧にリードして下さいました。 元祖イケメンの代名詞『アラン・ドロン』も、今の若者には通用しないのは寂しい限りです。

 「マンマ」 イタリアカンツォーネの「Mamma」が原曲で、意味は『お母さん』 故郷を離れ遠い戦地で母のことを想い歌ったもので、第二次世界大戦時、イタリアの兵士たちの間で大流行したそうです。 
 全体的に明るい曲調ですが、長調と短調が微妙に移り変わるメロディラインが時に切なさを感じさせます。

 「時計」 私はこの曲をずっとシャンソンだと思っていましたが、実は原曲はスペイン語の「El Reloj」 メキシコの作曲家 歌手のロベルト・カントラルが、自身もメンバーである音楽トリオ、ロス・トレス・カバジェロス(Los Tres Caballeros; 三人の騎士)のために作った、ボレロ・スタイルの楽曲です。 歌詞にある「時計をとめて」のタイトルでもカバーされています。
 
 「地上の星」 中島みゆきのヒット曲で、NHK『プロジェクト X〜挑戦者たち〜』の主題歌です。 印象的な力強いイントロで始まる曲ですが、中島みゆきも地声でパワフルに歌い上げています。 『地上の星』とは『有名じゃなくても光り輝いている人たち』を指していて、大きなプロジェクトを支えて来た幾多の名も無き人々への賞賛の歌だと思えます。

 「惜別の歌」 小林旭が歌い人気の出たこの曲。 我が歌声サロンでも度々リクエストされます。 島崎藤村の『高楼(たかどの)』に曲を付けたもので、中央大学の学生歌にもなっています。 哀愁を帯びた切ないメロディが心を打つ1曲です。

 Mr.Mの選曲で「ラスト・ワルツ」 ラストソングに相応しい曲です。 原曲「The Last Waltz」は、イギリスの歌手エンゲルベルト・フンパーディンクが1967年に発表した楽曲で、ワルツのリズムにのせて歌うロスト・ラブソングです💔 甘く優しいメロディが、失恋の辛さを忘れさせてくれる……と言うよりは素直に涙を流させてくれる感じの曲です。

 次回は9月14日。 3週間の猶予があったのに、このブログを書いているのはその当日です😅 
 8日にはピアニストの同門コンサートにたくさんの歌声関係者にお越し頂き、本当にありがとうございました(๑>◡<๑)

 皆様、猛暑のみぎり、くれぐれもご体調と相談の上、無理はなさらずご参加頂きたく願っております。

神田陽子



 
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