ミラノ・コルティナ冬季五輪が開幕して、
前置きはさておき、
この日も大寒波の襲来で冷たい風が体温を奪っていく酷寒の中、
『あたろうか あたろうよ』と、ほのぼのとした歌詞が印象的ですが、

リクエストは「坊がつる讃歌」 1978年にNHK『みんなのうた』で芹洋子が歌いました。 元は1952年(昭和27年)に、
「スキー」 前曲から山を連想させますが、

「思い出のグリーン・グラス」 美しく覚えやすいメロディは、
Then I awake and look around me At the four grey walls that surround me And I realize, yes, yes, I was only dreaming
( そして目が覚めて見回すと、四方には僕を囲んでいる灰色の壁。そこで気付く。そうだ、そうだ、僕はただ夢を見ていただけなんだ。)
For there’s a guard And there’s a sad old padre Arm in arm we’ll walk at daybreak Again I touch the green, green grass of home
( なぜなら看守がいるし、悲しげな老神父もいる。夜明けには腕を取られて歩いて行くだろう。また僕は故郷の青々とした芝生にふれるんだ。)
Yes, they’ll all come To see me in the shade Of that old oak tree As they lay me neath The green, green grass of home
( そうだ、みんな僕に会いにやって来るだろう。 あの懐かしい樫の木の木陰で、彼らは僕の亡骸を横たえるんだ。 故郷の青々とした芝生の下に。)
この歌は、死刑囚が執行前に見た夢を綴ったものでした… 『見果てぬ夢』… そんな言葉が浮かびます。
ダーク・ダックス「銀色の道」 五輪真弓「恋人よ」 西ドイツの同名映画の主題歌「白銀は招くよ」 中島みゆき「時代」 西田佐知子「エリカの花散るとき」 長渕剛「乾杯」の、様々な曲調の6曲を続けて歌いました。
どれも人気曲ですが、特に「白銀は…」は、
この日は時間に余裕があったので、
Mr.Mからは「ラ・クンパルシータ」 アルゼンチンタンゴの名曲ですが、
ウルグアイのヘラルド・エルナン・マトス・
この曲はABACAによるロンド形式で、
ここで前半終了です。お客様からの差し入れを頂きました( ◠‿◠ )
後半は、私からの紹介曲「さらば青春」でリスタートです。
先日NHKの『SONGS』に作者の小椋佳さんが出ていて、 この曲でデビューした頃のお話をされていました。 82歳の現在も歌手活動をされていますが、 一度は引退も考えたそうです。 『なぜ続けているのか?』の問いに、『 長く歌手を続けていても満足に歌えることは少ない。けれど、 たまに自分でも上手く歌えたと思える時があって、 それを味わうために歌い続けている。』 と云うようなことを話されていました。 それを聞いてプロの歌手の真髄を感じました。 日本語の美しさを大切にされていることも、 数々の名曲を聴けば納得ですね。
リクエストは 「死んだ男の残したものは」 作詞 谷川俊太郎、作曲 武満徹による反戦歌です。 詩の内容は深くて、戦争のもたらす空しさを淡々と語っています。 武満徹の退廃的で気怠い雰囲気を持つ旋律が、 その空虚さをより際立たせているように思えます。
「歌えバンバン」 「ケ・サラ」 「陽気に生きようこの人生をさ」 渚ゆう子「京都慕情」 「灯台守」 「Believe」 よくリクエストされる6曲を続けて歌いました。 どれもよく歌う曲なので、皆さんの歌声も一段と響いていました♪ (๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
「マリモの歌」 1953年(昭和28年)、雑誌『平凡』 による歌詞の一般公募で当選した1篇に曲が付けられ、『 コロンビア全国歌謡コンクール』 の課題曲として発表されたそうです。
阿寒湖に伝わるアイヌの悲恋をモチーフに、 緑のマリモを涙の結晶として描写しています。 『晴れれば浮かぶ水の上 曇れば沈む水の底』と云うフレーズは、 マリモの生態を恋の悲しみに擬(なぞら)えて歌っています。 八洲秀章による哀愁漂う旋律は、 その後安藤まり子が歌って大ヒットし、 後に芹洋子もカヴァーしています。
「荒城の月」 誰もが音楽の時間に習っていつのまにか覚えていた曲でしょう。 作詞 土井晩翠、作曲 瀧廉太郎のこの曲は、 日本で作曲された初の西洋音楽の歌曲と言われ、 日本の音楽史上重要な曲とされています。
1901年(明治34年)に、 旧制中学校唱歌の懸賞応募作品として選ばれた土井晩翠の詩に、 東京音楽学校の瀧廉太郎が曲を付けて作られました。 原曲は無伴奏の歌曲で、『中学唱歌集』に収められました。
リクエストは 「死んだ男の残したものは」 作詞 谷川俊太郎、作曲 武満徹による反戦歌です。 詩の内容は深くて、戦争のもたらす空しさを淡々と語っています。 武満徹の退廃的で気怠い雰囲気を持つ旋律が、
「歌えバンバン」 「ケ・サラ」 「陽気に生きようこの人生をさ」 渚ゆう子「京都慕情」 「灯台守」 「Believe」 よくリクエストされる6曲を続けて歌いました。 どれもよく歌う曲なので、皆さんの歌声も一段と響いていました♪
「マリモの歌」 1953年(昭和28年)、雑誌『平凡』
阿寒湖に伝わるアイヌの悲恋をモチーフに、
「荒城の月」 誰もが音楽の時間に習っていつのまにか覚えていた曲でしょう。 作詞 土井晩翠、作曲 瀧廉太郎のこの曲は、
1901年(明治34年)に、
その2年後、1903年(明治36年)に、 瀧廉太郎は23歳の若さでこの世を去ります。 その後1917年(大正6年)、 山田耕筰は原調のロ短調から短三度上のニ短調へ移調、 ピアノパートを補い旋律にも改変を加えてアレンジしました。 今日歌われている「荒城の月」はこれが元になっています。
七五調の歌詞(今様形式) で書かれた土井晩翠の詩も比類なき素晴らしいものです。 かつては栄華を誇った城も今は荒涼たるありさまで見る影もない。 そんな『栄枯盛衰』『諸行無常』をテーマにしており、
七五調の歌詞(今様形式)
『 むかしの光 いまいずこ』と詠っています。 最後のフレーズ『ああ荒城の夜半の月』は、 荒れ果てた城に上る月の光は変わっていないのに… と詠嘆しているように思えます。
格調高いラストリクエストの後はガラッと雰囲気を変えて、 私から「横須賀ストーリー」を紹介させて頂きました。 『これっきり これっきり もうこれっきりですか…』で始まる、 1976年リリースの山口百恵のシングルです。 この曲は作詞 阿木燿子、作曲 宇崎竜童のコンビが担当していますが、 これは山口百恵自身のたっての願いで実現したそうです。 これ以後もこの夫妻は山口百恵に多くの楽曲を提供していきますが 、この「横須賀ストーリー」 はそれまでのアイドル路線から脱却するきっかけになった曲で、 80万枚以上の大ヒットを飛ばしました。 いわゆる『かっこいい』曲ですね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
ラストソングは、Mr.M選曲の「幸せを売る男」 で賑やかにお開きとなりました。
次回は3週間後の2月14日。 『バレンタイン・デー』なので、何かお楽しみがあるのでは?( ◠‿◠ ) なんて期待させておいて… ご期待に応えられるかな?
『立春』も過ぎて春の気配も少しは感じられるでしょうか? 予報では暖かいみたいですが… 異常気象に負けぬよう、心身共に健康であらねばなりませんねᕦ( ò_óˇ)ᕤ
格調高いラストリクエストの後はガラッと雰囲気を変えて、
ラストソングは、Mr.M選曲の「幸せを売る男」
次回は3週間後の2月14日。 『バレンタイン・デー』なので、何かお楽しみがあるのでは?( ◠‿◠ ) なんて期待させておいて… ご期待に応えられるかな?
『立春』も過ぎて春の気配も少しは感じられるでしょうか? 予報では暖かいみたいですが… 異常気象に負けぬよう、心身共に健康であらねばなりませんねᕦ(
では、お元気で歌いにいらしてください。
お待ちしております(#^.^#)
神田陽子