2016年3月1日火曜日
歌のこころ ~ 続き ~    京都市  坂田晃司

清水さんが取り上げられておられる歌のなかに、貧弱ながら、細い糸で自分につながっているなつかしい歌が、思いのほかたくさんあり、驚いています。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉のとおり、どの歌にもその時代その時代の精神が宿っているのでしょう。

「あんたがたどこさ」は、済々黌時代、船場橋にほど近い西辛島町に下宿していて、ときどきこの界隈を散歩したことを思い出します。
今回この歌の出どころがいくつもあることを知り、驚きました。

「竹田の子守歌」は、若いとき音楽への渇望抑え難く、京都の十字屋でフルートを買って夜間の入門講座に通ったとき、最初に練習させられた曲でした。

京都北山は、旧制の京都一中時代、今西錦司、桑原武夫、西堀栄三郎らが魚谷に山小屋を建て、そこを拠点に探検ごっこに明け暮れていたのですが、山小屋の跡地に京都市が建てた説明板には、「西堀らは、この山小屋で、雨にこめられた退屈しのぎに、替え歌「雪山賛歌」を作った」とあり、当方はてっきりそう思い込んでいたのですが、清水さんは、西堀らが三高時代、群馬県の妻恋村の温泉宿でつくったものであるとされており、本家争いが起きそうですね。
たしかに旧制とはいえ中学生が作詞したとするには少しマセすぎている感はしますが・・・。

「坊がつる賛歌」は、迂闊にも実は最近まで、演歌のひとつぐらいにしか思っていませんでした。実は昨年11月に山仲間とふたりで、九州で唯一残っていた未踏高峰の大分県の九重連邦に登ったのですが、そのときはじめて「坊がつる賛歌」が九大の山岳部員たちによって作られた山男たちの歌であることを知り、「坊がつる」湿原を一望できる蓮華院温泉山小屋で一夜を明かしながら、世俗から隔てられた連峰の最深部の雄大な大自然に魅了された若き山男たちに思いを馳せたことでした。

このように歌は、自分のこころの最深部を掬い取って純化表現する栄為であり、ひとのこころを和ませ、共感をそそるものであることに、この歳になってようやく思い至りました。遅きに失しているとはいえ、自分なりに歌を楽しんでいこうと愚考してる次第です。

         (※) 坂田様には当時「紀行文」を連載して頂きました。



 
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