2016年2月29日月曜日
歌のこころ          京都市  坂田晃司

この度は、清水富美子さんの新著「歌のこころ」をお届けいただき、有難うございました。

往時、「ラウム」のブログに毎号、清水さんの音楽のエッセイが掲載されていたので、拝読していました。たまたま当方の拙文(※)が同じくブログに掲載されており、片や典雅な歌の世界とは場違いなむくつけき内容の駄文であることに、いつも肩身の狭い思いをしたことを思い出します。

当方、田舎育ちのため、生来、まともな音楽教育を受けたことがなく、生涯を振り返るとき実に惜しいことをしたもののひとつと思っています。

京都市では、時間を持て余した、行き場のない老人たち向けに、各種講座を毎週開催しており、当方もほとんどの講座に出席しておりますが、午前中2時間の時間割のうち最初の30分が「歌唱指導」に充てられています。

年配の歌のおばさんが、上手に老人たちをおだてながら、毎月3曲ずつ練習を指導してくれます。当方、楽譜がほとんど読めない「楽盲」ですが、小学唱歌から映画音楽まで実に幅広いジャンルの歌を声高らかに斉唱するのです。

歌唱は、健康にも良く、なによりも楽しいのがいいですね。
今月は卒業や巣立ちの季節とあって各種「別れの歌」が取り上げられていますが、その中に「仰げば尊とし」がありました。子供のころ何回となく、卒業式などで歌っていたのですが、歌詞を深く意識したことはありませんでした。

今回、作詞者・作曲者不詳とあるこの歌を起立してみんなと一緒に思いを込めて歌っているうちに思わず声が上ずり、涙があふれ出てきました。

清水さんが書いておられるように、ある年代以上の人間にはこの歌が特別の情感を呼び起こすのでしょうか。歌に込められた「こころ」が初めてわが心の琴線に響いたのでしょう。清水さんも言っておられるように、どんな歌にも「こころ」が込められており、そのこころに届いてこそそのうたの命を共有することができるのだと、得心した次第です。

              続きは次回に・・・・





 
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