やっと春らしい日和に恵まれたこの日、土曜歌声には『春』を感じる歌がたくさん響きました。
ファーストソングには「花の街」を選びました。 1番2番は、春の訪れを心から喜んでいる歌詞で綴られていますが、3番は『泣いていたよ』と云う言葉が2度出てきて、一転悲しい雰囲気になります。 作詞の江間章子さんによると、1、2番は彼女の願う幻想の理想世界で、3番は戦争で傷ついた人々を想って書いたリアルな世界とのことです。綺麗なメロディは團伊玖磨氏の作曲です。
リクエスト1曲目は「緑のそよ風」 長閑な曲調で、春の風景が浮かんでくるような明るい歌です。 『風』には目に見える色は無いのですが、春の風はやはり『緑の』と云う形容詞がぴったりですね。
私の好きなアメリカのフォークシンガー ジョン・デンバーの曲に「Annie’s Song」と云う彼の愛妻を歌ったものがあるのですが、その邦題が「緑の風のアニー」となっていてそのセンスが気に入っています。
『先日訃報を聞いたので…』とリクエストされたのは、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」 1968年にリリースされた彼女の代表曲です。 作曲の筒美京平はこの曲で『第11回日本レコード大賞・作曲賞』を受賞しています。 作詞の橋本淳によると、この歌詞は、横浜の海の向こうに見える京浜工業地帯の灯りをモチーフにして書いたので、最初タイトルを「ブルー・ライト・カワサキ」にしようとしたところ、筒美京平に『ヨコハマの方が良く無いですか?』と言われて変えたとのことです。(絶対ヨコハマでしょう!)
いしだあゆみさんは、後年は歌手と言うよりは俳優として活躍され、そのストイックな役者魂を示すエピソードがいろいろな方によって語られていましたが、私たちはこの歌を歌うことで彼女を忘れないでしょう。
「おもいでのアルバム」 幼稚園、保育園の卒園式に歌われる定番曲です。 この曲が作られた当時、作詞の増子としは墨田区の江東橋保育園長を務めるクリスチャンで、作曲の本田鉄麿は調布市の仏教系幼稚園・神代幼稚園の園長でした。
1年間の思い出を歌い、最後は『もうすぐみんなは 一年生』で終わる歌詞は、園児たちの幼気(いたいけ)な歌声で歌われると、保護者も先生方も号泣必至でしょう😭
「Remember the days」と云うタイトルで、グレッグ・アーウィンが英語バージョンも歌っていますが、『Gentle Heart ・Songs of Japan』と紹介されているのが嬉しいですね。
「手のひらのうた」 1956年に作曲者 寺原伸夫の郷里『宮崎のうたごえ』の仲間、伊黒昭文が胸を患って療養所で散歩しながら書いた詩に曲を付けたそうで、その後うたごえ運動で歌われてきたみたいです。 1964年には、坂本九も「幸せなら手をたたこう」のB面に入れてポップに歌っています。
年間を通して人気のある、加山雄三の「旅人よ」に続いてリクエストされたのは「故郷を離るる歌」 ドイツ民謡が原曲のこの歌に、吉丸一昌が翻訳・作詞して、『新作唱歌 第五集』に1913年(大正2年)に発表されて以来広く歌われてきました。 文語調の歌詞を西洋のメロディに当てはめて歌う難しさを感じますが、最後の『さらばふるさと さらばふるさと ふるさとさらば〜』は、旋律に見事にマッチして快い響きです。
しばらくお休みでしたが、この日お久しぶりにいらした男性のお客様。 皆さんの拍手で迎えられて、この方の代名詞とも言える曲「踊り子」を見事にリードして下さいました。
変わらない伸びのある歌声に、再び拍手喝采を浴びてちょっぴり恥ずかしそうにはにかんでいらっしゃいました(๑>◡<๑) 故三浦洸一さんも、こんなにもこの歌が愛唱されていることに、きっとお喜びでしょう。 因みに、東京-伊豆急下田間、東京-修善寺間を往復する特急『踊り子』と云う列車もあるそうですが、お乗りになった方、いらっしゃいますか?🚃
「今日の日はさようなら」 森山良子の歌で広く知られていますが、元は彼女のオリジナルではありません。 作詞 作曲は金子詔一氏で、調布市で活動していたボランティアグループ『ハーモニィサークル』(現 公益財団法人『ハーモニィセンター』)の設立者の1人でした。 若者たちの友情を深める目的で作られたこの曲は、ハーモニィセンターのオリジナルソングとして歌われていました。
森山良子は「恋はみずいろ」のB面にこの曲を入れて発表し、その後NHK『みんなのうた』や、高校の教科書でも紹介されて誰もが知る曲となっていきました。
「異邦人」 195歌集と335歌集の両方に入っていますが、本当によくリクエストされる人気曲です。 オリエンタルで神秘的なムードの曲調ですが、当初は三洋電機のカラーテレビのCMのために作られた曲でした。 副題に『シルクロードのテーマ』と付いており、シルクロードを旅する隊商の絵面とぴったりマッチしていました。
作詞 作曲 歌唱の久保田早紀は、この曲のヒット後5年ほどで商業ベースの音楽活動は引退していますが、この曲は多くのアーティストにカヴァーされて今も歌い継がれています。
「なつかしきヴォルガ」 こちらもお久しぶりの女性のお客様より。 私はお初曲だったので、リクエスト者とMr.Mのリードで。 ロシア民謡ですが、クラッシックのような美しい旋律に、切ない歌詞がよく映えて素晴らしい曲です。 高音のロングトーンは、リクエスト者がソプラノで歌い上げて下さいました。
「栄冠は君に輝く」 折しも『春の選抜高校野球』開催中とのことでリクエストされました。 高校球児の野球への真摯な想いにエールを贈るのに、歌詞も旋律もこの楽曲ほど相応しい曲は無いでしょう。歌う度に、胸の中に熱いものが込み上げてくる気がしませんか?⚾️
Mr.Mから「ゴンドリエ」を紹介してもらいました。 『ゴンドリエ』とはゴンドラを漕ぐ船頭さんのことで、この歌はヴェニスのゴンドラに乗っている恋人のために、船頭さんが歌っているのでしょう。 ゴンドリエの歌によってロマンティックなシチュエーションがますます高まっているようですね。 原曲は少しアップテンポで爽やかな感じですが、日本では淡谷のり子さんが、しっとり切なくスローテンポで歌っています。
名古屋にはかつて『イタリア村』がありましたね。 経営難で2008年に営業停止していますが、Mr.Mも『イタリア村が無くなって残念…』と。 そう言えば、私の亡き父もこのイタリア村がお気に入りで、そこでアコーディオンを弾いていたイタリア人と一緒に写した写真が残っています🪗
「ラストダンスは私と」 原題は「Save the Last Dance for Me」 アメリカのコーラス・グループ『The Drifters』の楽曲です。 日本では、岩谷時子さんの日本語歌詞を越路吹雪さんが歌って大ヒットしました。 軽やかなメロディと秀逸な歌詞が素敵な、洗練された1曲です。
余談ですが、ポール・マッカートニーは、このドリフターズバージョンを聴きながら、「ヘイ・ジュード」を作曲したそうです。 さらに日本では、1981年にザ・キングストーンズが、大瀧詠一プロデュースで、2つの楽曲をシンクロさせた「ラストダンスはヘイジュード」をリリースしています。 ちょっと聴いてみましたが、1番2番で両曲を交互に歌い『You can dance 』『ヘイ・ジュード』をバックコーラスがリフレインしていて、なかなかユニークに仕上がっています。
ダンス繋がりでしょうか? 「さよならはダンスの後に」 前回もリクエストして頂き、ブログでも紹介しましたが、『美少女戦士セーラームーン』のテーマソング「ムーンライト伝説」とメロディは良く似ていますが、歌詞は全く違って、こちらは大人のムード満載ですね。
ここで前半終了。 しばしの歓談タイム。
後半の紹介曲は、さだまさしの「僕にまかせてください」 元はさだまさしが、クラフトと云うフォーク・グループに提供した、ドラマ『ほおずきの唄』の主題歌ですが、その後セルフカヴァーしています。
歌っていると情景がはっきりと目に浮かんでくる曲ですが、『彼岸過ぎたら 僕の部屋も あたたかくなる』 と歌っていますから、春のお彼岸過ぎ… ちょうど今の季節ですね。
歌詞もメロディもとても優しい1曲です。
リクエストは「やさしさに包まれたなら」 ユーミンこと松任谷由実のあまりにも有名なこの曲。
『目にうつる全てのことは メッセージ』 このフレーズは歌詞の中に3回出てきますので、ユーミンの想いが一番こもっているのでは? と思われますが、数えきれないほど歌ってきたのに、今までこのフレーズについて深く考えたことはありませんでした。
『目にうつる全てのこと』と云うのは、自分が見たり、聞いたりしたこと、ひいては出会った人たち… つまりは自分の経験したこと全てで、『メッセージ』とは、文字通り『伝えるべき大切なこと』なので、『自分の経験することには全て何らかの意味があるので、伝えていかなければ』と云うような……そんな風に勝手に結論付けてしまいましたが、皆さんはどう解釈されますか?(╹◡╹)
「森の水車」 『コトコト コットンの2回目の音が高いんだよ〜』と言いながらも、しっかりリードしてくれたMr.M。 とても明るくて陽気なこの曲ですが、昭和17年(1942年)に高峰秀子の歌で発売されましたが、なんと発売から4日後に発禁処分に! 理由は戦時にふさわしく無いと云うことでした。
これについては後に、作曲者の米山正夫さんが次のように語っています。 『(発禁になったのは)軍歌しか認められない時代で、「森の水車」のメロディが米英調だという理由です。
この歌は実はドイツの作曲家アイレンベルクのメロディ(間奏の旋律)を拝借しているんです。同盟国のドイツの曲なら良い、と云うことだったんですが……』 戦時中にあらゆる欧米物は禁止になって、横文字言葉は全て日本語に言い換えて使っていたそうですが… 今の時代ではとても考えられませんね。(でも、漫才師『すゑひろがりず』が、出された外来語を全て日本語に変換するネタはおもしろいです🤣)
「微笑(ほほえみ)がえし」 1978年にリリースされたキャンディーズのラスト・シングルで、彼女たちの最大のヒット曲です。
それまでのキャンディーズのヒット曲のタイトルが、歌詞の中にたくさん織り込まれています。 「春一番」「わな」「ハートのエースが出てこない」「年下の男の子」「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」が順番に出てきますが、これらを1つにまとめて素晴らしい歌詞を書かれたのは阿木燿子さんです。
「高原列車は行く」 一頃歌声イベントでは必ずリクエストされていた曲で、冒頭の『汽車の窓から ハンケチ振れば』では、ハンカチを振る方も。
作詞の丘灯至夫と作曲の古関裕而は同郷で、旧知のあいだ柄でした。 朝ドラ『エール』でも描かれていましたね。 丘灯至夫はこの詩を郷里福島の猪苗代町の沼尻鉄道をイメージして書いたそうです。 沿線には裏磐梯や白樺が立ち並ぶ素朴な風景を表した詩に、古関裕而は持ち前のセンスの良さで、軽快なテンポのまるでヨーロッパの高原列車が走っているような、洒落た曲調にしました。 丘はこの曲に驚嘆してとても喜んだそうですが、昭和29年に発売されたこの曲のその後の大ヒットを思うと、全国民が本当に楽しげに歌っていたのでしょうね。
「古城」 三橋美智也の大ヒット曲で、私の親世代には人気抜群でしたが、今この歌を歌って感じるのは、歌う度に美しい日本語で綴られた、素晴らしい歌詞を再認識させられると云うことです。
多くの戦乱を乗り越えて、今は静謐(ひつ)な佇まいの『古城』 この城のモデルは、能登半島にある七尾城と言われています。 作詞の高橋掬太郎は「あゝ七尾城」と云う歌の歌詞も書いていて、その後姉妹編として「古城」を作ったとのことです。 三橋美智也は、正に歌詞にある『哀れをさそう』歌声で聴衆を魅了しました。
「忘れな草をあなたに」 1971年に倍賞千恵子と菅原洋一のシングルがヒットしましたが、特に菅原洋一のイメージが強い曲だと思います。 しかし元は1963年に女性コーラス・グループの『ヴォーチェ・アンジェリカ』が最初にリリースしているそうです。
歌詞、メロディとも優しく穏やかな曲調で、美しい抒情歌ですが、菅原洋一が歌っているとシャンソンの様な趣(おもむき)も感じられます。
「影を慕いて」 近頃よくリクエストされますが、特に男性陣に人気があるようです。
古賀政男の作詞 作曲で、最初は1929年(昭和4年)に『明治大学マンドリン倶楽部』の定期演奏会でギター合奏曲として発表されたそうです。 その時にゲスト出演していた人気歌手の佐藤千夜子に、流行歌にすることを勧められたのを期に、1931年(昭和6年)に佐藤千夜子歌唱のB面曲として発売。 しかしそれはあまり売れず、翌1932年(昭和7年)に藤山一郎が歌ったものが歴史的大ヒットとなりました。
メロディは「美しき天然」をモチーフにしているようですが、古賀政男独特の節回しが歌うのには難しい1曲です。 珍しく自ら作詞をしている歌詞には、古賀政男の魂の叫びの様なものが窺えます。
「東京の花売娘」 珍しいリクエストでしたが、皆さんよくご存知でした。 この歌は戦後間もない昭和21年に発売され、明るい曲調は「リンゴの唄」同様、荒廃した日本全土に活力を与えたそうです。 岡晴夫の伸びやかな歌声もヒットの一因となったようですが、歌詞には表現の自由を取り戻した証拠の様にカタカナの外来語が並んでいます。
私からもう1曲紹介させて頂いたのは「いのちの歌」 これまでも度々歌ってきましたが、3月は特に『命』を想う月なので歌いたいと思いました。 作詞のmiyabi さんは、シンガー・ソング・ライターの竹内まりやさんです。
歌っていると思わず『はっ』とする表現があり、歌詞に込められた想いが胸に迫ります。 私が特に共感を覚えるフレーズは 『本当にだいじなものは 隠れて見えない』
『いつかは誰でも この星にさよならを する時が来るけれど 命は継がれてゆく』の2つですが、歌詞全体から感じられる『感謝』を表すラストの『ありがとう』と云う言葉に、この曲の深遠なテーマを感じます。
ラスト・ソングは、Mr.M選曲の「ラスト・ワルツ」 原曲はインド生まれの英国人歌手エンゲルト・フンパーディンクの大ヒット曲。 日本語の歌詞は松島由佳さんですが、サビの詩がメロディにマッチして素敵です。 明るい曲調は別れの寂しさを感じさせません。
次回は3週間後の4月12日。 長いと思っていたのに、何ともう本日です😅
毎度毎度の遅筆に反省しきりですが、なかなかエンジンがかからない我が性分… 直りませんねぇ(≧∇≦)
ようやく春の陽気を享受できる日々が続いていますが、朝晩はやはりまだ小寒いので、くれぐれも体調にはお気を付けて下さいね( ◠‿◠ )
ご参加、お待ちしています。
神田陽子