2025年11月8日土曜日
土曜夜の歌声サロンラウム~10月25日のご報告~ 神田陽子

   ようやく秋の風情が感じられるこの日、皆さまの秋の装いが土曜歌声を彩ってくださいました。🍂

そんな秋を象徴する様に、ピアニスト選曲で「村祭」を歌って賑やかに開始です♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

リクエストは、久しぶりに参加の私の同級生から「秋桜(コスモス)」 情景が目に浮かんでくる、さだまさしの名曲ですが、この歌は「『歌う』のでは無く、『語る』のです。」とは、先日放送された『歌うのが難しい曲』でのプロの声楽家のコメントです。 
 明日嫁ぐ娘の気持ちを表していますが、歌詞の中に母親の言葉があって『苦労はしても
笑い話に時が変えるよ 心配いらない』『元気で』は、カギ括弧で括(くく)って正に『語る』と良いでしょうね。 それにしてもこれを作った時、さだまさしはまだ二十代のはずです。 母娘の気持ちの機微をみごとに描き切っているセンスには今更ながら舌を巻きます。

 「真白き富士の嶺」 1910年に起きた逗子開成中学校の生徒12名を乗せたボートが七里ヶ浜沖で転覆、全員が亡くなった事故の追悼歌です。 
 事故後、逗子開成の姉妹校である鎌倉女学校の生徒が鎮魂歌として合唱したことから、広く世間に知られるようになりました。 多くの歌手によって歌われてきましたが、タイトルは「七里ヶ浜の哀歌」「真白き富士の根」と記載されることもあります。 
 旋律に関しては、1800年代に、ジェレミー・インガルスが作曲した「Love Divine」が起源と考えれれていますが、日本では1890年(明治23年)刊行の『明治唱歌』において、「夢の外(ゆめのほか)」として採択されています。
 尚、歌詞は6番までありますが、525歌集には、1、2、3番が収録されています。

 「遠くへ行きたい」 この曲もラウムでは人気曲でしばしばリクエストされます。 1962年、NHK『夢で会いましょう』の『今月の歌(5月)』として作られました。 
 作詞 永六輔、作曲 中村八大、歌唱 ジェリー藤尾でヒットしましたが、その後多くのアーティストによってカヴァーされています。

 「友よ」 土曜歌声ではおそらく初のリクエストではないでしょうか?『フォークの神様』と呼ばれた岡林信康の1969年の楽曲ですが、彼のデビュー・シングル「山谷ブルース」のB面曲でした。
 岡林信康は社会の貧困、差別に関する曲も多く作っており、この「友よ」も『反体制ソング』のようになっていきましたが、後年『作り手の意図を超えて左翼運動と結びついていった』とインタビューに答えており、必ずしも『反体制』を標榜していた訳では無かったようです。
 私にとってもこの曲はどちらかと言うと『友情の歌』で、中学生の時合唱で歌ったものですが、ドラマ『愛という名のもとに』でも、仲間を自殺で失うというシーンでこの曲が延々と流されます。 そこには政治的な意図などどこにも無く、ただ『友』を想う曲として使われていました。

 倍賞千恵子「さよならはダンスの後に」 坂本九「上を向いて歩こう」の昭和の名曲を続けて歌いました。 

 チェコ民謡「ビヤ樽ポルカ」 ベネズエラ歌謡「コーヒールンバ」の、陽気で楽しい外国曲を2曲歌いましたが、奇しくもどちらも『ドリンク系』🍺☕️       「コーヒールンバ」は、もとは「モリエンド・カフェ(コーヒーを挽きながら)」と云う曲ですが、日本では1961年に西田佐知子がカヴァーしてヒットし、その後多くのアーティストが歌ってきましたが、近年では荻野目洋子のカヴァーで最注目されました。

 「ふれあい」 久しぶりのリクエストでした。 1974年リリースの楽曲で、ドラマ『われら青春』の挿入歌として、主演の中村雅俊が歌いました。 バンカラで熱血な教師がギター片手に歌っていましたが、そういうスタイルがあの頃流行りましたね。 作詞 山川啓介、作曲 いずみたくの優しい曲調で、フォークテイストが感じられる1曲です。

 「花は咲く」 毎年3月11日が近づくとよくリクエストされますが、『東日本大震災』のチャリティーソングとして作られた曲です。
 歌詞は『亡くなった人々の想いを想像する』フレーズと、『亡くなった人から生きているあなたへ向けたメッセージ』のフレーズでできています。 
 『叶えたい 夢もあった』『変わりたい自分もいた』には言いしれぬ悲しみ、無念が感じられます。 けれど『悲しみの向こう側に』『誰かの笑顔が見える』『誰かの未来が見える』と、再生への希望と祈りも織り込まれています。 
 生き残った者は亡くなった人たちの想いと共に、辛くとも頑張って生きてゆかなければならない… 『花は 花は 花は咲く…』と何度も繰り返されるフレーズを歌っていると、そんな想いに駆られます💐

 「恋に落ちて-Fall in love-」 『昔、ドラマで聴いたので…』とリクエスト者の仰る通り、この曲は『金曜日の妻たちへIII・恋に落ちて』の主題歌でした。 1985年リリースで、小林明子のデビューシングルです。 作詞の湯川れい子の実体験によるものと云う歌詞ですが、スマホ全盛の現代では『ダイヤル回して 手を止めた…』とは、何のこっちゃ? と思う若者も多いことでしょう☎︎     英語のフレーズも入っていますが、叶わぬ恋の切ない想いが溢れている歌です。

 「ケ・サラ」 この曲も当サロンでは人気曲で、1年を通してよくリクエストされます。
 『どうなるだろう?』と云う意味の『ケ・サラ』ですが、岩谷時子さんの『僕達の人生は 階段を手さぐりで 歩くようなものさ』のフレーズが正に言い得て妙。 階段をおっかなびっくり手探りで上がるのでしょうか? 降りるのでしょうか? その先には何があるのか? 『ケ・サラ』ですね( ◠‿◠ )

 「夢をあきらめないで」 「待つわ」で大ヒットを飛ばした『あみん』の岡村孝子が、ソロでリリースした曲ですが、本人の『ただの失恋ソングのつもりだった』との意図を超えて、今や応援ソングの定番になっています。 
 『負けないように 悔やまぬように あなたらしく 輝いてね』のフレーズは、何か人生の節目にいる人への餞(はなむけ)の言葉にも聞こえます。

 「惜別の歌」をリクエスト者のリードで歌って、前半終了です。

 休憩時に、前回のブログでもご説明しました「もしも明日が・・・。」の正式表記をホワイトボードに書いて、皆さんに訂正をお願いしました。

 後半は、Mr.Mの選曲で「セ・シ・ボン」でリスタート。 『それはとても素敵』と云う意味で、本場フランスでは、シャンソン歌手『世界の恋人』イヴ・モンタンが持ち歌として歌っていましたが、ルイ・アームストロングが英語の歌詞で歌ったことからアメリカで大ヒット。
その後世界各国のアーティストたちに歌われて、シャンソンのスタンダードナンバーとなっています。 甘い、甘い恋の歌です💕💕💕

 リクエストは「夕陽が泣いている」 1966年、ザ・スパイダースの出演映画『涙くんさよなら』の挿入歌として劇中で彼らが歌いました。 堺正章と井上順のツイン・ボーカルのグループ・サウンズでしたが、この曲は堺正章がソロで歌って大ヒットしました。 作詞 作曲はハマクラさんこと浜口庫之助。

 「淋しいアコーディオン」 季節柄か、秋は『淋しい』曲が似合いますね(◞‿◟) 
アコーディオンの柔らかで温かな音色も、秋に聴くとどこか淋しげでアンニュイな気分に誘われます。 この曲、ロシアの歌曲ですが、なんとなくシャンソンの香りがするなぁ… と思っていたら、やはりイヴ・モンタンがカヴァーしていますし、日本では加藤登紀子も歌っています。 アコーディオンを『手風琴』と呼ぶところに、日本語の美しさを感じます🪗

 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトー」 紙ふうせん「冬が来る前に」を続けて歌いました。 どちらも人気のある曲ですが、特に「冬が…」は、この季節にはほぼ毎回どなたかがリクエストされる定番曲です。

 「迷い道」 1977年リリースの渡辺真知子のファースト・シングルで、80万枚を売り上げるヒットとなりました。『現在 過去 未来…』とインパクトのある歌い出しですが、この歌詞、当初はサビの部分に入れられていたそうです。 それを当時の担当者の『この歌詞を最初に持ってきたら面白い』と云う言葉で入れ替えたと云うエピソードがあります。 確かに『つかみはOK』という感じですね(*^_^*)

  「Best  Friend」 2001年リリースの、Kiroroの10枚目のシングルで、朝ドラ『ちゅらさん』の主題歌として毎日流れていました。『友への感謝』をあらわして何度も『ありがとう ありがとう…』と繰り返され、卒業式で歌われることも多いみたいです。 そう言えば、私もこの歌を初めて聴いたのは、娘の中学の卒業式で、『なんて良い歌!』と感動したことを思い出します( ◠‿◠ )     
 友人の結婚式では、『ありがとう』の部分を『おめでとう』に変えて歌うことも定番化しているようです。

 「おまえに」 リクエスト者は、いつもご夫婦で参加されるダンナ様。 私『これは是非前でお歌いになりませんか?』 『まだ自信が…』 『では代わりにMr.Mが歌います』
Mr.M『私でいいですか?』 そんな会話の後歌いましたが、これは作曲の吉田正が夫人に対する感謝の気持ちを、吉田夫妻と親交のあった岩谷時子が『おしどり夫婦』をイメージして作詞したと言われています。 

 「ルージュの伝言」 ユーミンがまだ荒井由実だった頃の1975年にリリースされたシングルです。 ユーミン自身はこの曲に関して、最初はイマイチの出来だと不満だったそうですが、山下達郎が吉田美奈子や大貫妙子等を集めてコーラスを担当してくれたお陰で、『抜群のアメリカン・ポップになった』と、山下への感謝を述べています。 この曲以降、ユーミンはフォーク・シンガーからニューミュージックのポップ・シンガーへ突き進んでいくのです。

 「メランコリー」 1976年リリースの梓みちよのシングルで、作詞 作曲をフォークの喜多条忠(まこと)、吉田拓郎が手掛けています
 前回のブログに載せましたが、喜多条は「神田川」の作詞を自分の実体験から書いており、それまではフォーク系の歌手に多く作詞していましたが、これ以降、歌謡曲の作詞も引き受けるようになったそうです。  キャンディーズの「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「アン・ドゥ・トロワ」、柏原芳恵「ハロー・グッバイ」もこの人の作詞です。
 メロディラインは『さすが、拓郎』と思わせ、なかなか歌うのは難しい曲ですが、歌唱力抜群の梓みちよに、拓郎は『あなたは歌が上手いから困る。 思い切って下手クソにやってほしい。』と言って、梓を呆れさせたそうです(^_^;)

 「君をのせて」 この曲はもう数え切れないほどリクエストされていて、人気曲ベスト10に入る人気曲です。 ジブリアニメ『天空の城ラピュタ』のエンディングテーマです。 ミディアム・テンポの曲調で、穏やかな出だしのAメロから、『さあ でかけよう ひときれのパン ナイフ、ランプかばんにつめこんで…』のBメロで徐々に盛り上がって、Cメロと言える短いフレーズ『父さんが残した 熱い想い 母さんがくれた あのまなざし…』を歌い、またAメロに戻ります。 曲構成としては少しユニークな感じがします。

 「私を叱らないでママ」  この曲は、インドネシアのマルク諸島(モルッカ諸島)に伝わるインドネシア民謡です。
 原題は「Ayo  Mama(ママのそばで)」 カタカナで書かれた歌詞はインドネシアのアンボンのマレー語で、その中にも『アヨママ』とあります。『アヨママ ジャンガラマラベーター』が、タイトルの『私を叱らないでママ』に当たります。 インドネシアの曲は、明るく楽しい曲調のものが多いですが、この曲も歌っているとなんだか愉快な気分になりますね( ^∀^)

 「コザックの子守歌」 この曲も近頃よくリクエストされるので、皆さんもすっかり覚えられたようです。 優しい歌詞に美しいメロディが眠りを誘(いざな)う素敵な子守歌を2回繰り返して歌いました。
(( _ _ ))..zzzZZ

 「灯」 日本では「カチューシャ」「トロイカ」等とともに、ロシア民謡を代表する1曲として、『うたごえ運動』の中で広く歌われてきました。 日本語の歌詞は『楽団カチューシャ』の訳詞で歌われるのが一般的で、525歌集にもこの歌詞で載っています。 叙情的な詩のせいもあって、日本ではゆったりとしたテンポで歌われるのが普通ですが、ロシアでは早めのテンポで行進曲風に歌われることが多いそうです。 美しい旋律は、情緒たっぷりに歌う方が合っているように思えますが…。

 「仕事の歌」 ロシア民謡が続きます。 原題は「ドゥビーヌシカ」で意味は『棍棒』この歌の中では、波止場で働く労働者が荷揚げなどの作業に使う樫の木の丸太ん棒のことを指しているそうです。 それは労働のための道具でもあり、政府からの圧政に対抗して立ち上がった民衆の武器にもなったのです。
 『それは 仕事の歌ぁぁぁぁ〜』と印象的な旋律に続き、『ヘイこの若者よ…』と歌われる、気持ちを鼓舞される1曲です。

 本日のラストソングは、ホワイトボードに書いたままになっていた「もしも明日が・・・。」
『・・・。』の意味を考えながら、皆さんそれぞれ歌われたのではないでしょうか?♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

 次回は11月8日です。 もう11月・・・今年もあと2ヶ月足らず…  本当に1年経つのは早くて、その速度は年々増しているような? 
『一日一日を大切に』と思う気持ちはあっても、日々バタバタとしている内に、いつの間にか時が過ぎていく…   そんな生活の中で皆さんと一緒に歌える『うたごえサロン』での時間はかけがえの無いひと時です(*≧∀≦*)    皆さんにもそう思って頂けたら幸いです( ◠‿◠ )

 では、また次回(本日)お会いしましょう🎶  インフルエンザ、風邪が流行っているようですから、くれぐれもお気を付けください。

神田陽子



 
Template Design: © 2007 Envy Inc.