2024年8月24日土曜日
土曜夜の歌声サロンラウム~ 8月10日のご報告~ 神田陽子

  相変わらずの猛暑で体調がすぐれない方もあり、この日も少数精鋭の感でしたが、人数に関係なく歌う曲数は同じくらいなので、歌声は豊かに響き渡りました。


 前日が長崎原爆忌だったので、1曲目は「長崎の鐘」を歌いました。 広島の原爆忌もそうですが、戦争の実情を知る世代がどんどん少なくなり語る人も減る中、このような歌を歌い続けることが、忘れないことに少しでも寄与できればと思います。
 8月は『鎮魂の月』 この日のリクエストも平和を求める曲が多く出されました。

 リクエストは「歌えバンバン」  1971年1月2日放送のNHK正月特番『うたえバンバン』のテーマソングとして作られましたが、その後小中学校の音楽の授業で合唱曲として取り入れられています。 明るく元気よく楽しく歌える、いかにも作曲の山本直純氏らしい1曲です。

 「帰ってこいよ」  土曜歌声はお初の女性のお客様からのリクエスト。 エレガントなご婦人で、私のブログを読んで来て下さったとのこと、嬉しい限りです。
 この歌は三味線を弾きながら奇抜な格好で歌った松村和子のヒット曲ですが、民謡で鍛えた抜群の歌唱力が持ち味でした。 最後のフレーズ『帰って こ〜いよ〜🎶』が印象的ですね。

 「街」 当サロンでも人気のある曲です。 『大好きな人が住んでいるだけで、その街も大好きになれる』と云うコンセプトが、優しい気持ちにさせてくれます。 
 奇しくもこの数日後、作詞 歌唱の高石ともやさんの訃報が飛び込んで来ました。 
 代表作「受験生ブルース」で知られるフォークの旗手で、生涯をフォークに捧げてきたシンガーでした。 一貫して社会派フォークのスタイルでしたが、学費を稼ぐために釜ヶ崎で肉体労働をするなど体験から書いた曲も多く、海外のフォークソングを分かり易い形で伝えたことも彼の功績のひとつでしょう。 また1人惜しい歌手が鬼籍に入られましたが、彼の歌はいつまでも人々の心に残ると信じています。

 「小さい秋みつけた」 全く秋の気配は無い今現在の気候ですが、『少しでも秋を感じたくて』とは、リクエスト者の弁。
本当にその通りですね。

 「エルベ川」 「第二次世界大戦中に、この川のほとりで連合軍のアメリカとソ連軍が出会った『エルベの誓い』として知られる平和の歌です。 でも今はまた戦争で…」と、リクエスト者が説明して下さいました。 本当に戦争ほど愚かなことは無いのに、それを始めるのは人間。戦争を終わらせるのもやはり人間。 天変地異に慄く昨今、こんな愚かしい戦争をしている場合では無いだろうと切に思う次第です。 

 「心のうた」 これも平和を希求する反戦歌です。 この曲は中央合唱団創立4周年記念『1952年日本のうたごえ』音楽会に寄せて作られたそうで、作詞 作曲は関 忠亮氏。 時は朝鮮戦争最中、日米安保条約の発効など、民衆勢力の弾圧が進んだ頃でした。

 「バイカル湖のほとり」 ザバイカル(バイカル湖東方の地域)の未開の荒野を、さすらい人が自分の運命を呪いながらさまよう歌です。 美しいメロディのこのロシア民謡は、映画『シベリア物語』の中で用いられたことで広く親しまれています。
原題「ブラヂャーガ」は『放浪者』を意味します。

 「1週間」 キャッチーなメロディで誰もが知っているこの曲もロシア民謡です。 何とも摩訶不思議な歌詞で成り立っていますので、今で言う『ツッコミどころ満載』ですが、調べてみると原曲もほぼ日本語の歌詞通りみたいです。 しかし若干の言葉足らずもあるようです。
 例えば市場から買ってきたのは『糸』では無く『糸巻き棒』、『お風呂』は『蒸し風呂』 また『おしゃべりばかり』と云う歌詞は、原曲ではただおしゃべりしていたのでは無く、『個人への想いを皆で語り合った』と云う殊勝な内容だそうです。 
 525歌集では『あなたと会って』『恋人よ』とありますが、これらも『ともだちが来て』『ともだちよ』と覚えた人も多いのでは無いでしょうか?  珍しいリクエストでしたが、楽しい気分になれる1曲ですね。

 『よく知らないのですが…」とリクエストされたのは「君は天然色」 大瀧詠一の作曲で、メロディも転調だらけのアレンジも洗練された大瀧イズムで作られています。
 作詞は、大瀧詠一とはバンド『はっぴいえんど』時代からの盟友、松本隆。 実はこの歌詞は彼の亡き妹を想って書かれたものでした。 当時妹を亡くした悲しみで詩が書ける心境では無かった松本に、大瀧は『書けるようになるまで待つ』と言ってくれたそうです。
 そんな時渋谷を歩いていた松本は『妹の死は覚悟ができていたはずなのに、渋谷の街が本当に白黒に見えた。ショックが強すぎると景色も色を失うんです。』と後に語っています。
 その時の心象風景が『想い出はモノクローム 色を点(つ)けてくれ』のフレーズとして歌われています。 

 「千の風になって」 リクエスト者は今日初めてのお客様。『誰かの様に大げさではなく、優しく語りかける様に歌って欲しい。これは作者 新井 満氏の希望です。』と話され、Mr.Mの優しいリードで歌いました。 確かに大声量で歌い上げるより、静かに語りかける方が死者への想いが伝わりますね。

 「折鶴」 これも広島、長崎への鎮魂歌。 人類史上最も残酷な攻撃と言われている原爆投下。 世界中で日本だけがこの惨禍に二度も遭っているのです。この事実は本当に重く悲惨な出来事です。 『決して忘れてはならない』と云う強い想いで、やわらかな旋律のこの歌を歌い平和を祈ります。

 「遠くへ行きたい」  1962年、NHKテレビ『夢であいましょう』の『今月の歌』(5月)として作られ、ジェリー藤尾が歌いました。 
 また1970年にスタートした旅番組『遠くへ行きたい』のテーマソングとしても、55年間多くの歌手によって歌われて来ました。 曲の最後にハミングで余韻を残すこの歌の作詞は永六輔、作曲は中村八大。永遠の名曲として歌い継がれていくでしょう。
  
 「秘密」 日本人の作詞 作曲によるシャンソンテイストの歌で、歌詞は女性の独白調で、作詞は詩人かつ著名なシャンソン訳詩家の津田誠。 作曲の高橋定一郎は戦後日本のシャンソンの発展に尽力し、翻訳シャンソンだけでなく、日本人の創作によるシャンソンを歌う活動を広めました。

 「異国の丘」 やはりこの日は戦争にまつわる曲が多く出ます。 1943年(昭和18年)に、陸軍上等兵として満州にいた吉田正が、現地で療養中に部隊の士気を上げるために作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲。 戦後、シベリアに抑留されていた兵士のひとり増田幸治によって歌詞が付けられましたが、『望郷の念堪え難し』の想いが強く感じられます。 長く作曲者が判明しなかったそうですが、1949年にこの歌をモチーフに同名の映画も作られています。

 「赤いハンカチ」 1962年発売の石原裕次郎のシングル曲ですが、1964年には裕次郎主演で同名の映画も公開されてゆうちゃん人気は鰻上り。 ラウムの裕次郎のリードで歌いました。

 「手のひらを太陽に」 誰もが知っているこの曲の作詞は『アンパンマン』でお馴染みのやなせたかし氏。漫画家・絵本作家・詩人と多くの肩書きを持つやなせ氏は高知県出身ですが、その生い立ちは複雑で、後年「さびしいカシの木」を作詞しています。 
 余談ですがこれを書いている日に、娘一家はアンパンマン列車に乗っていたみたいです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 「真夏の出来事」 1971年リリースの平山三紀のシングルで、ハスキーボイスで歌うひと夏の恋の物語ですが、三浦海岸の油壺を舞台にしているそうです。 サブタイトルに(BUT
WE’RE PART NOW!)とあるので、失恋してしまったのですね。

 「わかって下さい」 珍しいリクエストでしたが、美しいメロディラインが素敵な曲です。 因幡晃のデビューシングルで、1975年秋の第10回ヤマハポピュラーソングコンテスト優秀曲賞・第6回世界歌謡祭入賞。 歌うのは難しい1曲で勉強不足は否めませんが、また歌いたいと思います。 因幡晃はずっと盲目との噂でしたが、どうやらそうでは無いようです。私も彼は盲目の歌手だと信じていましたのでちょっとショックでした。

 ここで休憩タイムに。 この日は久しぶりにピアニストのR子さんが来てくれて、受付、リクエスト係を担ってくれました。 飴の差し入れも頂いたので皆さんにお配りしました。

 後半は『エーゲ海の風を感じたい』と思い、「魅せられて」でリスタート。 エーゲ海からの爽やかな風が感じられるような旋律ですが、移ろいやすい女心を『女は海』となぞらえる歌詞は結構あざとい感じですね。

 リクエストは「あなたが夜明けをつげる子どもたち」 当サロンでも人気曲で度々出されますが、作詞は岐阜県恵那市出身のフォークシンガー笠木透で、彼は中津川フォークジャンボリーの生みの親でもあります。 1977年、教育記録映画『夜明けへの道』の主題歌として作られ、その後うたごえ運動を中心に広まっていきました。

 「友だちはいいもんだ」 私はうろ覚えでしたが、元小学校教諭の高校の同級生がきれいな声で歌ってリードしてくれました。 
 劇団四季のミュージカル『ユタと不思議な仲間たち』の中でも使われていて、コロナ禍で公演ができない時には、310名の団員がこの歌をテレワークで歌い継いでYouTubeで配信しており圧巻です。

 「手紙〜拝啓十五の君へ〜」 アンジェラ・アキのシングルですが、2008年のNHK全国音楽コンクール中学校の部の課題曲として書き下ろされた「手紙」を、自身の歌唱用にアレンジしたものです。 アンジェラ自身が15歳の時に自分宛に書いた手紙が、30歳の誕生日に母親から届いたことがきっかけに作られた曲だそうです。
 復興の応援ソング、卒業ソングとしても広く歌われています。

 「すずらん」 軽快な曲調のロシア民謡で『ランディシィ ランディシィ』と繰り返されるフレーズが耳に快く残ります。 『ランディシィ』はロシア語で『すずらんの花』です。

 続いてもロシア民謡の「ステンカラージン」 この曲は音楽の時間に習った人も多いと思いますが、歌声サロンでもよくリクエストされます。 十七世紀ロシアの農民蜂起を指導したステンカ(ステパン)・ラージンを歌った曲です。 

 「夏の思い出」  『夏が来れば 思い出す…』で始まるあまりにも有名なこの曲は、作詞 江間章子、作曲 中田喜直の黄金コンビにより、NHKの依頼で作られた歌曲です。
 1949年(昭和24年)にNHKのラジオ番組『ラジオ歌謡』で石井好子の歌唱で放送され、美しい歌詞と旋律で人々の心を捉えます。と同時に歌詞にある『尾瀬』の人気も急上昇だったそうです。
 音楽の教科書にも掲載され幅広い世代に親しまれている曲で、『日本の歌百選』にも選定されています。

 R子さんより出された「Mr.サマータイム」と、フィナーレはMr.M選曲で「少年時代」を歌ってお開きに。

 日本人が大活躍だったオリンピックも、次の楽しみだった甲子園野球も終わってしまいました。 感動は数知れず、選手と共に涙した夏でした。 

 次回開催は、本日8月24日。 暑さもいっこうに緩む気配はありませんが、お互いに元気を与え合う気持ちで歌いに来て頂けたらと思います。

神田陽子



 
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